つるぎ‐じんじゃ【剣神社】
剱神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/04 13:48 UTC 版)
剱神社 | |
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拝殿 |
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所在地 | 鹿児島県霧島市国分敷根99 |
位置 | 北緯31度42分20.7秒 東経130度47分11.4秒 / 北緯31.705750度 東経130.786500度座標: 北緯31度42分20.7秒 東経130度47分11.4秒 / 北緯31.705750度 東経130.786500度 |
主祭神 | 日本武命 |
社格等 | 旧郷社 |
創建 | 不明 |
本殿の様式 | 神明造 |
例祭 | 3月18日 |
地図 |
剱神社(つるぎじんじゃ)は鹿児島県霧島市国分敷根にある神社である。現在は剣神社と表記することが多い。
祭神
日本武命を主祭神に、天児屋根命、剱彦神、大臼命、小臼命(日本武尊)、太玉命、菅原道真公を配祀する。配祀神は1910年(明治43年)に合祀された。
由緒
古くは敷根の北西にそびえる剱岩山頂を琵琶甲(びわんく)または枇琶甲(びわんく)と言い、そこに石祠があり、拝殿は剱岩の麓にあったが延宝元年(1674年)12月に現在の地に遷宮された。剱岩の名の由来は、日本武尊が熊襲征伐際して熊襲の様子を探る為に登り、剣を抱きながら野営をした故事に因むと伝わる。
敷根氏がこの地を領していた頃は天満宮(天満天神)を深く崇敬して宗社としていたため剱神社は自然に荒廃したが後に島津義久が山田利安に命じて再興させた記録が「神社明細帳」や敷根郷・猿渡仁衛門家蔵の「剱神社由緒記」にある。
1910年(明治43年)10月25日には兵主神社・菅原神社・太玉神社・蛭子神社を合祀した。
祭祀
神幸祭(御下りともいう)は、昔真夏に悪疫が流行して多くの死者が出たために剱神社に町中の巡幸を願い、お祓いをしてもらったのが起こりで、この巡幸によって悪疫の流行が止まった事に因んで、悪疫退散と健康を願う夏の祭りとして行われるようになったと伝える。
その他、毎月1日と15日の午前6時より月次祭が行われる。
合祀された神社
- 兵主神社
- 祭神、由緒不詳。姶良郡敷根村浜字節田に鎮座しており、瓦葺の本殿と舞殿があったが現存せず。氏子数は72戸あった。
- 菅原神社
- 菅原道真公を祀る。敷根村麓字節句田に鎮座していた。「右者隅洲噌於郡一郡天神と申し伝え候、天神は一郡に一社宛御崇啓の由伝承申し候。慶長七年亥寅霜月に義久公被遊御再興候御奉行山田越前殿御棟札に、今神前に納置候御祭米年二、三度宛御給候処に寛文九歳十一月に剱ノ宮に相渡し候、天神御祭礼併に修補等は衆力にて無、急様にと被給渡候其通に勤来申し候、但し郡天神御取持の時は天 霜月田御供田被召付候字之田方今も御座候事」。社殿は瓦葺の本殿と舞殿、橋殿があったが現存しない。氏子数は32戸であった。
- 太玉神社
- 太玉命を祀るが由緒は不明。敷根村麓字節句田に鎮座し、瓦葺の本殿、舞殿、橋殿があったが現存しない。氏子は麓部落戸数42戸。
- 蛭子神社
- 蛭子命を祀るが由緒不明。敷根村浜節句田1072番地ノ2に石の祠があった。氏子は浜町部落で73戸あった。
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境内にある剱岩。
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太玉神社跡地、現在は敷根集会所。
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蛭子神社跡地、現在はコンクリート製の祠がある。
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蛭子神社跡地、祠の中の恵比寿様。
参考文献
- 「ふるさと敷根の神々」 剱神社宮司 池田愼 編
外部リンク
- 剱神社(鹿児島県神社庁)
劔神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/23 02:54 UTC 版)
劔神社 | |
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![]() 拝殿 |
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所在地 | 福井県丹生郡越前町織田113-1 |
位置 | 北緯35度57分28.2秒 東経136度3分19.4秒 / 北緯35.957833度 東経136.055389度座標: 北緯35度57分28.2秒 東経136度3分19.4秒 / 北緯35.957833度 東経136.055389度 |
主祭神 | 素盞嗚尊 |
社格等 | 式内社(小) 越前国二宮 旧国幣小社 別表神社 |
創建 | (伝)第14代仲哀天皇年間 |
本殿の様式 | 八棟造(織田造) |
別名 | 織田明神 |
例祭 | 10月9日 |
地図 |

劔神社(つるぎじんじゃ)は、福井県丹生郡越前町織田にある神社。式内社、越前国二宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。別名を「織田明神(おたみょうじん)」とも。
祭神
歴史
創建
社伝によれば、御神体となっている剣は垂仁天皇皇子の五十瓊敷入彦命が作らせた神剣で、神功皇后摂政の時代に仲哀天皇皇子の忍熊王が譲り受け、忍熊王が高志国(越国)の賊徒討伐にあたり無事平定した。のち、伊部郷座ヶ岳に祀られていた素盞嗚尊の神霊を伊部臣が現在地に勧請し、この神剣を御霊代とし祀ったことに始まると伝えられる。忍熊王はその後もこの地を開拓したことから、開拓の祖神として父である仲哀天皇(気比大神)とともに配祀されたと伝える。
概史
古くは社蔵の梵鐘(国宝)に「劔御子寺鐘 神護景雲四年九月十一日」の銘が見え、奈良時代の神護景雲4年(770年)にはすでに神宮寺があったことが知られる。
国史では、宝亀2年(771年)に従四位下勲六等の「劔神」に食封20戸・田2町を与えると見える。また天安3年(859年)には、「劔神」の神階を従四位上勲六等から正四位下勲六等に昇叙する旨が記載されている。
『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒では、当時の「劔御子神」には神戸として越前国から30戸が充てられており、そのうち10戸は天平神護元年(765年)、20戸は宝亀3年(772年)に定められたとする。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、越前国敦賀郡に「劔神社」と記載され、式内社に列している(ただし敦賀市莇生野の劔神社に比定する説もある)。
中世以降、この地の歴代の領主、斯波氏、朝倉氏、織田氏の崇敬を受け保護された。特に織田信長は当社の神官の子孫とされ[1][2]、織田家の氏神とされた[3]。柴田勝家の書状にも「殿様、御氏神、粗相仕るべからず」とある。尾張織田家はもともと越前織田荘出身で姓とし、主君の斯波氏の尾張守護任官で就いて尾張へ移ったので、数代前の越前守護斯波義将の被官の織田信昌、将広、父子も明徳4年(1393年)6月7日に「修理再興し、今後も課役を免除し、子々孫々修理を怠らない」と誓約しており、当社は織田氏と深い関係がある[4]。江戸時代には福井藩・大野藩両藩からの崇敬を受け、幕末には伏見宮家の祈願所ともされた。昭和3年(1928年)に国幣小社に列格した。第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。
神階
境内
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本殿(福井県指定文化財)
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拝殿
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神輿庫(旧神前院護摩堂、越前町指定文化財)
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摂社織田神社(福井県指定文化財)
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旧神宮寺礎石
塔心礎か。 -
境内入り口
文化財
国宝
- 梵鐘 銘劔御子寺鐘神護景雲四年九月十一日(工芸品)
- 奈良時代の作。「劔御子寺鐘/神護景雲四/年九月十一日」(神護景雲4年は770年)の銘がある梵鐘で、奈良時代の在銘鐘として貴重なものである。道鏡が失脚した際に神馬とともに奉納されたとの伝承がある。越前町織田文化歴史館に寄託。1902年(明治35年)4月17日に当時の古社寺保存法に基づき国宝に指定、1956年(昭和31年)6月28日に文化財保護法に基づき国宝に指定[5][6]。
重要文化財

- 絹本著色八相涅槃図(附 紙本墨書涅槃講式(断簡)1巻)(絵画)
福井県指定文化財
- 有形文化財
越前町指定文化財
- 有形文化財
- 旧神前院護摩堂(建造物) - 江戸時代の造営。1987年(昭和62年)11月1日指定。
- 神輿 1対(工芸品) - 江戸時代中期の作。1978年(昭和53年)2月17日指定。
- 獅子頭(工芸品) - 江戸時代初期の作。1978年(昭和53年)2月17日指定。
その他
- 織田信長書状
- 徳川家康書状
- 柴田勝家書状
- 古文書など
関連図書
脚注
- ^ “戦国を訪ねる旅マップ(福井・滋賀・京都三府県連携観光促進協議会)”. 滋賀県. 2023年8月21日閲覧。
- ^ 2014年11月16日Yahoo!ニュース 雑誌関連記事「織田家第18代当主 織田家の400年の伝統を破り、息子の名に「信」をつけず」「週刊朝日」2014年11月21日号 リンク切れIA差し替え 2017年5月7日閲覧
- ^ 神田千里『織田信長』P.26 2014年 ちくま新書
- ^ 『織田家の人々』小和田哲男 p.12 1991年 河出書房新社、『天下人の父・織田信秀 信長は何を学び受け継いだのか』谷口克広 pp.22 - 23 2017年 祥伝社新書<史料は「織田劔神社文書」所収「仮名置文」>
- ^ a b 梵鐘 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ “文化遺産データベース「梵鐘」”. 文化庁. 2015年12月2日閲覧。
- ^ “文化遺産データベース「絹本著色八相涅槃図」”. 文化庁. 2015年12月2日閲覧。
- ^ 劔神社本殿(福井県ホームページ「福井の文化財」)。
- ^ 劔神社の摂社織田神社(福井県ホームページ「福井の文化財」)。
- ^ 不動明王三尊像(福井県ホームページ「福井の文化財」)。
- ^ 密教法具金銅盤(福井県ホームページ「福井の文化財」)。
- ^ 劔神社文書(福井県ホームページ「福井の文化財」)。
関連項目
外部リンク
劔神社(つるぎじんじゃ)
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