劔神社 (防府市)とは? わかりやすく解説

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劔神社 (防府市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/11 07:49 UTC 版)

劔神社

拝殿
所在地 山口県防府市高井1154-1
位置 北緯34度4分33.2秒 東経131度33分13.8秒 / 北緯34.075889度 東経131.553833度 / 34.075889; 131.553833 (劔神社 (防府市))座標: 北緯34度4分33.2秒 東経131度33分13.8秒 / 北緯34.075889度 東経131.553833度 / 34.075889; 131.553833 (劔神社 (防府市))
主祭神 素戔嗚尊
社格 式内社(小)
郷社
創建 不詳
例祭 9月27日-28日
地図
劔神社
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鳥居(後背に右田ヶ岳

劔神社(つるぎじんじゃ)は、山口県防府市高井にある神社式内社で、旧社格郷社

祭神

現在の祭神は次の1柱[1]

歴史

概史

創建は不詳。社伝では、第14代仲哀天皇の筑紫行幸の際に、夷狄降伏を祈願して八握剣を神体として祀ったという[2]。また、かつては劔川上流の勝坂に鎮座したともいう[2]文禄4年(1595年)に現在地に再興か[3])。

国史では、貞観9年(867年)に周防国の「剣神」の神階を従五位上から正五位下に昇叙する旨が記載されている[2]

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では、周防国佐波郡に「剣神社」と記載され、式内社に列している。

室町時代には大内氏から武勇の神として崇敬され、社領も多く持ったという[2]。また、豊臣秀吉は九州下向の際に祈願し、帰途には唐太鼓を奉納したという[2]

江戸時代の『防長風土注進案』によれば、本社三間造茅葺、拝殿茅葺三間三間半であり、他に釣屋・御供所・宝蔵などの社殿があった[2]。また勝坂鎮座時には本社五間四面、中殿三間半三間、幣殿五間四面、釣屋一間半二間のそり橋、拝殿七間二間半であり、社前には能舞台があったが、山火事で焼失したという[2]

明治維新後、明治6年(1873年)に近代社格制度において準郷社に列し、明治8年(1875年)に郷社に昇格している[4]

2009年の豪雨による被害

2009年7月に起きた豪雨災害の際は、土石流により被害を受けた。

神階

境内

主な祭事

脚注

参考文献

外部リンク

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