分離独立と戦後インド憲法の制定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:55 UTC 版)
「インドの歴史」の記事における「分離独立と戦後インド憲法の制定」の解説
1945年9月2日に第二次世界大戦が終わった結果、疲弊したイギリスは、植民地を手放す事態に陥った。 しかし、インド内のヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の争いは収拾されず、1947年8月15日、イスラーム教国家のパキスタンとの分離独立(インド連邦)となった。 イスラーム教徒との融和を説き、分離独立に反対したガンディーは1948年1月、狂信的なヒンドゥー教徒により暗殺された。初代首相にはジャワハルラール・ネルーが就任し、政教分離の世俗主義という柱で国の統一を図った。 1950年に共和制へ移行。1946年12月発足の制憲議会が1949年11月26日にインド憲法を公布、それを受けて1950年1月26日に施行された。 以後この1月26日は「共和国記念日」として連邦首相が主催し、8月15日は「独立記念日」として大統領が祝賀する慣例となった。 戦後インド憲法に書かれた正式国名の英語表記は"Indian Sovereign Socialist Secular Democratic Republic"となっており、そこでは社会主義共和国が志向されている。 戦後インド憲法では、カーストによる差別も否定された。 憲法前文では、インド国民が主権を持つ民主共和国を実現する決意を明らかにし、公民すべてが社会的・経済的・政治的な正義、思想・表現・信条・信仰・崇拝の自由、地位・機会の平等を確保し、個人の尊厳と国家の統一をもたらす友愛を促進することを規定している。
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