出版と旅行代理店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/29 23:53 UTC 版)
「ヴィクター・H・グリーン」の記事における「出版と旅行代理店」の解説
詳細は「黒人ドライバーのためのグリーン・ブック」を参照 アフリカ系アメリカ人は、自家用車を所有しはじめ、米国の自動車文化の形成に寄与するようになっても、依然として人種による隔離を受けていた。南部諸州の州法は有色人種用設備を用いるよう強いていたし、北部でも多くの宿泊施設やレストランは黒人を寄せつけなかった。「商用であれ観光であれ、黒人旅行者にはホテルや旅館が快く泊めてくれるかという問題がつねに付きまとった。」 1936年にグリーンは「この問題をどうにかしようと思いたち」、「米国全土を対象として、黒人にサービスを提供する一流ホテルを可能な限り網羅した目録を作成しようと考えた。」グリーンは黒人の利用できるホテルやレストラン、給油所の情報を集め、これが The Negro Motorist Green Book 第1版となった。町によっては黒人の利用できる宿泊施設が存在しなかったため、旅行者を泊めてくれる個人宅 (tourist home) が記載されている。『グリーン・ブック』第1版が対象としているのはニューヨーク都市圏の施設のみである。第1版序文でグリーンは次のように書いている。 「いつか近い将来、このガイドブックが発行されなくなる時が来るでしょう。その時こそ、一つの人種としてのわれわれが、合衆国において権利と特権を平等に手にする時なのです。」 グリーンはガイドブック刊行に専念するためハーレムに出版事務所を構え、1947年には黒人の運営する施設内にガイドブックの取り扱い先を確保する意味で旅行代理店 Vacation Reservation Service 社を設立した。1949年にはガイドブックの対象地域は国境を越え、バミューダとメキシコに及んだ。1952年にガイドブックは The Negro Travelers' Green Book と改名されている。 『グリーン・ブック』の発行部数は毎年15,000部であった。グリーンは黒人の取引先とだけではなく、「アフリカ系アメリカ人の影響力が増大していること」を示すため、白人を相手としても取引を行っていた。当時エッソは他社とは異なり黒人にもガソリンスタンドのフランチャイズを認めていたので、グリーンのガイドブックにとって良い売れ口となった。なお、地域によっては同様のガイドブックがユダヤ人を対象として販売されていた。 ヴィクター・H・グリーンは1960年に没したが、『グリーン・ブック』は妻アルマを編集者として1966年まで発行された。1964年に公民権法が成立し、公共施設からの隔離が法的に終わりを告げたことで、『グリーン・ブック』は不要なものへとなっていった。グリーンがかつて第1版序文に記したゴールが達成されたのである。
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