凧に関する逸話・創作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 08:11 UTC 版)
高知県の「土佐凧」は戦国時代、長宗我部氏が籠城戦(攻城戦)で糸の風切り音で敵を威圧したり、戦場を測量したりするために使ったことが始まりと伝承されている。 大凧に乗って名古屋城の金鯱を盗もうとした盗賊の話が知られている。この話は江戸時代に実在した柿木金助という盗賊がモデルになっている。実際には柿木金助は名古屋城の土蔵に押し入ったに過ぎないが、1783年に上演された芝居『傾城黄金鯱』(けいせいこがねのしゃちほこ)によって金鯱泥棒として世に知られるようになった。 忍術書の『甲賀隠術極秘』(芥川家文書)には、源義家による奥州合戦(後三年の役)金沢柵責めの時、服部源蔵という芥川流の小柄な人物がいて、大凧を作らせ、大風が吹いている中、乗せて、空中より火を降らして、焼き討ちにしたという記述が残されている(絵図が見られ、凧に複数の日の丸状の仕掛けから火を出す)。創作ではあるが、兵器としてのアイディアが近世からあったことがわかる。横山光輝の漫画並びにそれを原作とした特撮テレビドラマ『仮面の忍者 赤影』などでは、忍者が大凧に乗って偵察や戦闘を行う描写がみられる。 戦間期期のドイツではハイパーインフレーションにより煙草1箱が数億マルクもする状態になり、紙幣は価値をほとんど失ってしまっていた。こうした背景から、当時の子供たちは紙幣を貼り合わせて作った凧で遊んでさえおり、写真も残されている。 1752年、当時楽器の発明で有名だったベンジャミン・フランクリンは雷雨の中で凧を揚げて雷が電気であることを証明した。これは感電の危険がある。フランクリンが成功したのはまぐれと言ってもよく、当時にも追試で何人かが感電死している。
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