内部対立、アカデミズムとの対立
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「ジャン・リカルドゥー」の記事における「内部対立、アカデミズムとの対立」の解説
1966年にアカデミズムからの批判に対する反撃としてテル・ケルが主催した討論会「蒙昧主義と闘う(Contre l'obscurantisme)」にソレルス、チボードー、ファイユ、バルト、作家ジャン=ルイ・ボードリー(フランス語版)、美学・美術史専門の哲学者ユベール・ダミッシュ(フランス語版)とともに参加した。 1968年、ソレルスとの意見対立により1967年に編集委員を辞任したファイユが雑誌『シャンジュ(変化)』を創設し、5月18日にファイユ、サロートらが五月革命の学生運動の一環としてソルボンヌ大学の学生・作家行動委員会(CAEE)の結成に参加。さらに5月21日にはバルザック、ユーゴー、アレクサンドル・デュマ、ジョルジュ・サンドによって1838年に創設された権威ある文学者協会(フランス語版)の拠点「マッサ邸(Hôtel de Massa)」(パリ14区)を占拠し、「文壇の既存秩序に異議を唱える」ために作家同盟(Union des Écrivains)を結成した。リカルドゥーはチボードーとともにテル・ケルを代表して作家同盟の会議に参加したが、政治的展望について作家同盟と意見が対立し、二人とも決議に参加せずに退場した。 1970年4月にストラスブール大学で開催されたシンポジウム「1945年以降のフランス小説の傾向と技法」、およびリカルドゥーが主宰した翌1971年のスリジー・シンポジウム「ヌーヴォー・ロマン、昨日、今日」はヌーヴォー・ロマンの理論的総括の試みであり、同時にまた対立を浮き彫りにすることにもなった。小説家、理論家、大学教員が多数参加したこれらのシンポジウムでは、ヌーヴォー・ロマンの小説家(ロブ=グリエ、サロート、ビュトール、シモン、オリエ、リカルドゥーら)が、「ヌーヴォー・ロマンの社会学」としてその「政治的意義」を論じる研究者や、ヌーヴォー・ロマンの基準や規範を打ち立てようとする理論家、あるいはヌーヴォー・ロマンを一つの流派や運動として文学史のなかに位置づけようとする試みに反対し、そのような文脈から独立した「テクストを生み出す」行為として自らの創作を定義しようとした。リカルドゥーはこうした「内部爆発」について、ヌーヴォー・ロマンは文学グループや流派ではなく(ロブ=グリエをもじった)「ロボ・グリエ(ショートしたロボット)」という「部隊」だとし、ロブ=グリエに従うロボットであり、しかもショートして爆発したロボットであると自嘲を込めて表現した。
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