兵庫早期開港要求(1865年)
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「幕末の砲艦外交」の記事における「兵庫早期開港要求(1865年)」の解説
詳細は「兵庫開港要求事件」を参照 下関戦争の賠償は幕府が負担することとなった。幕府は300万ドルを支払うか、あるいは幕府が四国が納得する新たな提案を実施することとなった。英国の新公使ハリー・パークスは、この機に乗じて兵庫の早期開港と天皇からの勅許を得ることを計画した。パークスは、他の3国の合意を得、連合艦隊を兵庫に派遣し(長州征伐のため、将軍徳川家茂は大坂に滞在中であった)、幕府に圧力をかけることとした(賠償金を1/3にする代わり、兵庫開港を2年間前倒しする案があった)。1865年11月1日(慶応元年9月13日)、キング提督を司令官とした英国4隻(プリンセス・ロイヤル、レパード、ペラロス、バウンサー)、フランス3隻(グエリエール、デュプレクス、キャンシャン)、オランダ1隻(ズートマン)の合計8隻(米国は今回は軍艦は派遣せず)からなる艦隊は、英仏蘭の公使を乗せて横浜を出港し、11月4日(9月16日)には兵庫港に到着した。幕府は老中阿部正外および松前崇広派遣し、11月11日(9月23日)から三国の公使との交渉を行わせた。途中、両老中の解任などの紆余曲折を経て、11月24日(10月7日)、幕府は孝明天皇が条約の批准に同意したと、三国に対して回答した。開港日は当初の通り慶応3年12月7日(1868年1月1日)であり、前倒しされることはなかったが、天皇の同意を得たことは三国の外交上の勝利と思われた。また、同時に関税率の改定も行われ、幕府が下関戦争の賠償金300万ドルを支払うことも確認された。 艦名艦種建造年トン数乗組員機関出力備砲英国 プリンセス・ロイヤルPrincess Royal 蒸気スクリュー戦列艦 1853年 積載量3129トン(bmトン)排水量4540英トン 850 不明 91 レオパードLeopard 蒸気外輪フリゲート 1851年 積載量1406トン(bmトン) 310 560NHP 110ポンドアームストロング砲x110インチ砲x132ポンド砲x4 バウンサーBouncer 蒸気スクリューガンボート 1856年 積載量233トン(bmトン) 40 60NHP 68ポンド砲x2 フランス グエリエールGuerrière 蒸気スクリューフリゲート 不明 排水量3935トン 不明 不明 不明 デュプレDupleix 蒸気スクリューコルベット 1863年 排水量1795トン 203 1215IHP 6.4インチ砲x10 キャンシャン Kienchang 通報艦 不明 不明 不明 不明 不明 オランダ ズートマンZutman 蒸気スクリューコルベット 不明 排水量2100トン 240 830IHP 6.3インチ砲x830ポンド砲x8
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