全盛期の取り口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 00:13 UTC 版)
太刀山の繰り出す強烈な突っ張りに対抗して磨いた出足鋭い押し相撲が最大の特徴である。天竜は「立合いに自分が用心していないと(栃木山の)出足で自分の首に電気が走って痛めるほど」という。先に述べたような怪力の右手で追っ付けられた相手は、栃木山の怪力で腕が捻じ切られるのではないかと思ったという。利き手の左筈押しは栃木山の十八番で、右追っ付け・左筈押しの型になれば盤石だった。 右で相手の左肘下を掴んで捻り上げてから左を浅く覗かせて返すと、腰を割ったまますり足の凄い出足で押す一点張りである。そのすり足によって土俵に土煙が舞い、勝負の決まった後には栃木山のすり足によって出来た鉄道のレールのような二本の平行線がくっきり残ったという。自身は相手のまわしを取らないかわりに相手にも自身のまわしを取らせなかったが、もし相手に取られれば必ず切ってから攻めに入った。このように栃木山は筈押しの完成者とも言われ、天竜も「相撲の型を完全に身につけた力士は栃木山が最後だろう」と認めるほど、近代相撲の開祖とも評される。 幕内で2度以上対戦した力士で通算で負け越したのは太刀山(1勝2敗)と2代朝潮(1勝3敗)だけである。朝潮には5連覇中で唯一の黒星を付けられたが、これが無ければ栃木山は54連勝を達成していた。他には清瀬川敬之助を苦手とし、大関昇進後に唯一2敗(6勝)している他、2分1預がある。 一方で鳳谷五郎には滅法強く、初顔合わせから2場所連続で金星を奪うなど5勝1敗とカモにし、3代西ノ海には3勝1分。大錦・常ノ花とは同部屋に所属していたことから本場所での対戦は無かったが、稽古での力量差は歴然だったという。この両者とは1922年に行われた大坂相撲との合同による「第1回国盗り大相撲」(出身地別に東西に分かれての対抗戦)で対戦し、特に9日目の大錦との全勝同士の取組は事実上の優勝決定戦として注目され、開催地が大阪ということもあって「大阪出身の大錦に花を持たせるのではないか」との周囲の予想もあったが、あっさり押し出しで勝利、千秋楽(10日目)は常ノ花も破って全勝優勝を果たした。 押しの速攻は横綱土俵入りにも現れ、非常に速いものだった。この速さは弟子である栃錦に受け継がれた。
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