入獄と生死の境の彷徨い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 07:14 UTC 版)
ハルビン左翼文学事件を機に、多くのマルクス主義文芸活動家が逮捕される。関沫南、陳堤、王則、季瘋などの文学青年が相次いで入獄。袁犀も敵の密偵から追跡されていた。定住の難しさから、瀋陽での活動は難しくなる。また、大連放火団事件が摘発され、袁犀は同志傅岩から放火団の指導部が彼が参加している遠東紅軍情報組織であることを知る。生活が不安定であると同時に、病中で常に逮捕される危険がありながら短編小説を次々と書き上げる。前期創作された短編小説7編を収録した『泥沼』が出版される。本書出版後東北の読者たちに影響を与え、交わり番こに読まれるようになる。そのうち、敵検閲より読むことが禁止された。袁犀は北平に移動し、弟の維剛の家に住む。薬を買うとき、何となく塩素酸カリウムの有無を聞いたところ、うがい薬で売られていることを知り、北平の日本軍用倉庫への放火を計画する。ある日、中国大学を通り過ぎる時、知人李維華に遭遇する。袁犀は彼に宿舎に誘われ、色々と話すうちに袁犀は彼に計画のことを話す。1942年1月13日深夜2時過ぎに袁犀は逮捕される。入獄後、絶え間なく拷問を受ける。爪の間に鉛筆を挟まれたり、麻縄できつく縛られたり、十数人に吐血するまで殴打されるなど散々な目に会う。最後に李維華と対面した時、袁犀は初めて密告者が彼だと知り、怒り狂う。李維華は前々から密偵であった。獄中一ヶ月半の間、冷水を立てなくなるまで何度も浴びさせられ、肺病と喘息は悪化の一途を辿った。昏睡状態となって警察病院で応急手当を受けることもしばしばあった。この間の入獄と死の淵に立った経験は1947年の中編小説『獄中記』に書き込まれた。出獄後、短編小説『廃園』と『露台』を書き、皮肉を込めた言い回しで現実の暗黒面と生活の苦痛を反映する。『露台』では、ある精神病患者の口を借りて以下のように皮肉を言った。 「ニーチェの最も偉大な哲学的著作は文字なき白紙の本だ。人類はゆえにそれを理解できず、唯魂たちのみが理解できる。」「俗世の中、こんな文字なき本を書き出してはいけない。どの世人が文字なき本なんかを買うんだろうか。魂の前身—世人はほかならぬ稿料のためである!」人物は続けてこう言う。「空はとても青い!青の所以はそれが世間から離れすぎているからだ。このため、それはとても愉快だ!」
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