党外運動とは? わかりやすく解説

党外運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:57 UTC 版)

美麗島事件」の記事における「党外運動」の解説

「党外(中国語版)」とは、中国国民党一党独裁台湾統治していた時期に「独裁反対民主自由化実現」を目標活動していた政治組織又は個人意味する用語である。初期の「党外」活動者は主に雑誌通じて自己の政治理念主張する形態雷震の『自由中国』などが代表例であったが、1970年代以降選挙活動通して政治理念浸透組織化を図るようになった。 党外の最初組織化試みは、1978年行われることになっていた中央民意代表増加定員選挙の際、非国民党の候補者として康寧祥﹑張春男、黄天福姚嘉文呂秀蓮等が立候補し選挙期間通じて黄信介林義雄施明徳中心に台湾外人士助選団が設立され、党外候補者後援行った具体的に各種座談会記者会見共同政見公約発表会といった活動である。助選団の総幹事には施明徳選出された。 助選団の支援の下、宣伝ビラパンフレット頒布などの大規模な宣伝活動により党外候補者大きな影響力獲得した。しかし1978年12月16日アメリカ合衆国連邦政府による中華民国との断交発表されると、政局混乱予想した総統蔣経国動員戡乱時期臨時条款規定される緊急権発動選挙延期選挙活動一切停止することを宣言した。 この決定対し党外勢力反発許信良、余登発などは12月25日に『党外人国是生命』の中で選挙の実施と、台湾人による台湾未来決定要求した1979年1月21日、党外運動の中心人物であった余登発が叛乱罪で逮捕されると、当時桃園県であった許信良翌日二十数人の党外活動家率いてその釈放求めて行動国民党統治下の台湾における初めてのデモへと発展した。 余登発は逮捕後、施明徳などの支援を受け党外活動家60人による「人権保護委員会」を結成3月9日初公判時には姚嘉文弁護人として出廷させ、また委員会アムネスティ・インターナショナル協力して保釈運動続けると同時に施明徳らによる党外雑誌創刊準備が行われていた。4月20日監察院許信良弾劾案を可決委員会はこの弾劾決議に関して組織挙げて反対運動起こした

※この「党外運動」の解説は、「美麗島事件」の解説の一部です。
「党外運動」を含む「美麗島事件」の記事については、「美麗島事件」の概要を参照ください。

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