停戦後の衝突
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:54 UTC 版)
「ナゴルノ・カラバフ戦争」の記事における「停戦後の衝突」の解説
詳細は「:en:2016 Nagorno–Karabakh War」および「2020年ナゴルノ・カラバフ紛争」を参照 2008年、アルメニア、アルツァフ共和国、アゼルバイジャンの間で緊張が高まった。外交面では、アゼルバイジャン大統領イルハム・アリエフは「必要とされれば、アゼルバイジャンは領土を奪還するため武力行使に出るだろう」と再度述べ、これと同時に境界線での銃撃事件が増加した。2008年3月5日、最も重大な停戦違反となった第一次マルダケルト衝突(アルメニアでの選挙不正疑惑に関するデモの直後に両軍が衝突した)が起こり、最大で16人の兵士が死亡したとされる。どちらの側も、もう一方が戦闘を始めたと主張した。さらに、この事件は砲撃が行われたという点で、狙撃あるいは機銃掃射にとどまっていたそれまでの衝突とは一線を画している。2010年夏には同様に死傷者が発生した第二次マルダケルト衝突が起こった。 2014年6月から8月にかけてアゼルバイジャンによる停戦違反、そして大統領がアルメニアに対し戦争を示唆したことで緊張が再び高まった。 2016年の4日戦争で緊張は沈静化するどころか悪化した。これは1994年の停戦以来最悪の衝突となった。アルメニア国防省はアゼルバイジャンが領土を奪うため攻勢を仕掛けたのだと主張した。アゼルバイジャンの報告ではアゼルバイジャン軍兵士12人が死亡、Mi-24と戦車が撃破された。アルメニア大統領セルジ・サルキシャンはアルメニア軍兵士18人が死亡、35人が負傷したと述べた。 2020年9月27日、再びナゴルノ・カラバフでの戦闘が勃発した。アルメニア軍は、アゼルバイジャン軍が先に爆撃を行ったと主張した。一方、アゼルバイジャン軍はトルコから供与されたUCAVであるバイラクタールTB2によるアルメニア軍の地対空ミサイル車両を撃破する映像を公開した。戦闘はナゴルノ・カラバフ戦争以来最悪の規模となり、700人以上が死亡したとみられる。
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