停戦後の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 21:13 UTC 版)
停戦違反は多かったが、各々の事案は比較的軽微なものであった。チャド、リビアの両政府は、広く予期されていた紛争の再開に備え、国際世論を味方につけるために、複雑に入り組んだ外交工作を直ちに開始した。しかしながら、双方とも、平和的解決の余地を残しておく様にも気を配っていた。フランスとアフリカ諸国のほとんどは平和的解決を支持・推進する一方で、アメリカのレーガン政権は紛争再開をカダフィ失脚に向けた最大のチャンスと考えていた。 カダフィがチャド政府との関係正常化を図りたいと示唆し、この戦争は誤りであったと認めるまでに至り、両国間の関係は着実に改善していた。1988年5月、リビアの指導者は「アフリカへの贈り物として」、ハブレをチャドの合法的な大統領であると承認する、と宣言し、これが10月3日の両国間の外交関係の全面的な再開につながった。翌1989年の8月31日、チャドとリビアの代表がアルジェで会談し、「領土紛争の平和的解決に関する枠組み合意」の交渉を行い、これによりカダフィは、アオゾウ地帯についてハブレと話し合うこと、二国間の交渉が不調に終わればこの問題を国際司法裁判所(ICJ)に提起し拘束力のある裁定を仰ぐこと、に合意した。1年間交渉を行うが合意に至らず、1990年9月、両国はこの問題を国際司法裁判所(ICJ)に提起した。 1990年12月、リビアが支援するイドリス・デビがハブレを追い落とし権力を握ると、チャドとリビアの関係はさらに改善された。リビアはデビ新政権を世界で最初に承認し、また種々のレベルでの友好・協力条約も締結した。しかしながら、アオゾウ地帯については、デビはハブレ前政権の方針を引き継ぎ、必要があればリビアに渡さないよう戦うと宣言した。 国際司法裁判所(ICJ)に提起されていたアオゾウ地帯に関する紛争(英語版)は、1994年2月3日に判事評決16対1の過半数で「アオゾウ地帯はチャドに属する」との判決が確定、終結した。この判決は遅滞なく履行され、両当事者は早くも4月4日に判決履行のための実務的な方法に関する合意文書に署名した。国際監視団が監視する中、アオゾウ地帯からのリビア軍の撤退は4月15日に始まり、5月10日までに完了した。5月30日、両国はリビアの撤退が完了した旨の共同宣言に署名し、アオゾウ地帯がリビアからチャドへ正式かつ最終的に引き渡された。
※この「停戦後の状況」の解説は、「チャド・リビア紛争」の解説の一部です。
「停戦後の状況」を含む「チャド・リビア紛争」の記事については、「チャド・リビア紛争」の概要を参照ください。
- 停戦後の状況のページへのリンク