借金と妻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:17 UTC 版)
上述のとおり、父親が事業に失敗して作った多額の借金を小村は肩代わりし、生涯を通じてその返済に苦労した。その貧乏生活はすさまじいもので、家具は長火鉢1つと座布団2つだけ、衣類はほとんど質屋に入れたため、 いつも同じ服を着ており、食べるものにも事欠いて、長男の欣一が夜盲症(夜に視力が著しく衰える病気)に罹るというありさまであった。 債権者は次々と役所や小村邸に押しかけてきたが、新婚の妻が着物を金に変えたり、見るに見かねた有志が債権者全員を集めて一部を棒引きにしてもらったり、小村のために減債基金が設けられたりした。ところが当の小村は借金返済日前後には外泊し、待合い通いをしたため、妻は赤坂や新橋を歩き回って夫の居場所をかぎ出し、人前でも平気で小村に当り散らしたという。 経済的な苦境を他人に同情されると、小村は常に「もう苦しいのは通り越して平気です」と答えていた。こうしたタフでふてぶてしい神経は、数々の豪快な逸話を生み出すこととなった。たとえば、留守中に近所で火事があり、のちに自宅も被災するところだったという話を聞いた小村は、焼けてしまえば借金引き伸ばしの好い口実ができたのにと笑って、周囲を呆れさせた。外務省内で宴会があると、酒好きの小村は必ず出席したが、いつも会費を支払わずに人一倍飲み食いして平然としていた。また、金銭的援助を申し出る人があっても、金を借りると一生頭が上がらなくなるのがたまらないという理由で断っている。小村が有名になるにともない、雌伏時代の貧乏暮らしも有名になり、のちには国定教科書に掲載されたほどであった。 妻のマチ(町子)は、明治女学校で高等教育を受けており、留学から帰国したばかりの彼にはまぶしい存在であったが、結婚後、自らは裁縫もしなければ料理もせず、実家からの仕送りで女中を雇い、家事一切をやらせるような女性であったことに小村は愕然としたらしい。マチは、多分に感情が激することが多く、小村と言い合いになると暴言を吐いたり物を投げたりして、近所に住む実家の両親のもとに行って泣いて訴えることもあった。彼女の唯一の趣味は芝居見物で、子供たちを女中に託して実家の母などと一緒に外出することも少なくなかったという。
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