倒産とその後とは? わかりやすく解説

倒産とその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 08:05 UTC 版)

三洋証券」の記事における「倒産とその後」の解説

1997年11月3日、ついに会社更生法適用申請証券会社としては戦後初の倒産であった積極経営によって「嵐に窓を開ける」ことになった三洋証券バブル崩壊に伴う証券不況に全く抗うことができずに消えていった。この倒産自体それほど世間注目浴びたわけではなかったが、その後金融市場与えた影響計り知れないものがある。 1997年11月4日三洋裁判所資産保全命令しインターバンクコール市場債券貸借市場戦後初の債務不履行発生しコール市場疑心暗鬼大混乱陥った。 この信用収縮余波を受け、綱渡り運転資金やりくりしていた都市銀行北海道拓殖銀行11月17日経営破綻11月24日四大証券一角で「飛ばし」による多額簿外債務抱えていた山一證券自主廃業し、その2日後の11月26日には拓銀同様に綱渡り資金調達していた徳陽シティ銀行経営破綻し、翌年日本長期信用銀行日本債券信用銀行などと共に金融恐慌となる。 10月31日金曜日)に借り入れた無担保コール翌日物返済期限である11月4日火曜日)を待たずして、11月3日月曜日祝日)に三洋証券会社更生法適用申請したことが、コール市場混乱した直接の原因である。会社更生法の申請至った経緯に、大蔵省密室な行指導や、大蔵省日銀連携不手際かかわっていたといわれる1998年に、再建スポンサーとして名乗り出ていた三井海上火災保険業務継承打診したまとまらず6月自力経営再建断念し8月従業員全員解雇し1999年12月会社更生法取り下げ破産宣告受けた2009年3月25日破産手続終結して法人消滅したトレーディングルームは現在TISインターネットデータセンターとなって現存し子会社三洋投信委託一時期古倉義彦経営権が移るものの、プラザアセットマネジメントとして現在にいたる。一部業務継承計画があった三井住友海上親密明光証券に、元社員一部採用されている。 山梨県山中湖にあった保養所洗心寮」は、現在も取り壊され廃墟のまま放置されている。

※この「倒産とその後」の解説は、「三洋証券」の解説の一部です。
「倒産とその後」を含む「三洋証券」の記事については、「三洋証券」の概要を参照ください。

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