信用と問題の拡張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/09 15:48 UTC 版)
「ベアー・スターンズ」の記事における「信用と問題の拡張」の解説
1985年、ベアー・スターンズは株式会社となった。同年10月、さらなる増資が宣言された。そして不動産担保証券(MBS)をあつかうまでに業容は拡大した。1991年までにベアー・スターンズは、ラテンアメリカにおける株式発行市場の頂点に立って大幅な増収を遂げた。1993年にジェームズ・ケイン(James Cayne)が新社長となった。グリーンバーグは会長としてケインと協力した。外部コンサルタントも経営に参画した。1994年、北京に代理店を設置。翌1995年ベアー・スターンズは、中国鉄路広州局集団公司が上場するときの独占引受人となった。1996年、ベアー・スターンズの証券取引を決済していたブローカー(A. R. Baron & Company)が倒産した。同社は顧客から7500万ドルを詐取しており、翌1997年に証券取引委員会がベアー・スターンズを調査するようになった。株価操作や信託権限の逸脱に至るまで、証拠は山積みされた。1998年1月、ゼネラル・モーターズ・アクセプタンス・コーポレーションがユーロ債20億ドルをデュアル・トランシェ債(5年と10年)として発行し、ベアー・スターンズとモルガン・スタンレーが主幹事となった。同年9月、係争中のベアー・スターンズはロングターム・キャピタル・マネジメントの救済を拒否した。1999年夏、証券取引委員会とマンハッタン地区当局がベアー・スターンズに4200万ドルの制裁金と賠償を請求したが、ベアー・スターンズは請求を拒否するだけでなく調査で明らかにされた事実も否認した。それから2年ほどベアー・スターンズの株式は(店頭市場で)割引により取引された。2001年6月、グリーンバーグは会長職をケインに譲って引退した。ケインはモルガンに買収されるまで現役であった。 2003年11月12日、特定の投資家に対してミューチュアル・ファンドの短期売買を容認していたとして、富裕層向け営業部門のブローカー4人とアシスタント2人を解雇した。類似の短期売買は同業他社でも盛んに行われていたので事態は収拾せず、いわゆる「投信・保険不正問題」に発展し世論を燃焼させた。バンカメを代表とする同業他社には、カナダのパワー・コーポレーションが傘下にかかえるパトナム・インベストメントや、保険大手のプルデンシャル・ファイナンシャル、そして11年後にマイロン・ショールズが居座るジャナス(Janus Capital Group)もあった。19日、連邦議会下院は「2003年投資信託の公正性及び手数料の透明性に関する法案」を可決した。ベアー・スターンズは22日に連邦当局から召喚状を受け取った。12月11日には、証券取引委員会も短期売買と時間外取引に関する新規則案を公表した。一連の事件に対する追及と措置は徹底しなかった。2006年5月、証券取引委員会がベアー・スターンズに罰金2.5億ドルを課した。ベアー・スターンズは1999年から2003年9月にかけて、得意先であったヘッジファンドに対し、経済指標などの発表後にたびたび起こる市場の変動を利用したマーケット・タイミング・トレード(短期取引)に便宜を図り、また市場の終了後にも取引を行わせ、他の顧客に不利益を与えたという。ベア・スターンズは容疑について否認も是認もせず罰金を払った。
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