保津川下り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 13:40 UTC 版)
京都の代表的な観光地である嵐山・嵯峨野に近いことから、1885年(明治28年)に観光客を対象とした遊覧船による川下りが行われるようになった。この風流な保津川下りは夏目漱石の『虞美人草』を始め、水上勉、薄田泣菫、大町桂月、三島由紀夫など幾つもの文学作品に登場した。当時は、京都から人力車にのって老の坂を越え、篠町王子を経て保津川の亀岡盆地から保津峡への入り口にあたる山本浜(現在のトロッコ亀岡駅辺り)から乗船した。ルーマニア王国皇太子やイギリス皇太子などの賓客も興じたことから、王子から山本浜までの道のりは「異人道」と呼ばれた。 その後、川下りは大衆的なものとなり、また、乗船場もJR嵯峨野線亀岡駅近くに移された。はじめ京都交通グループが、1960年代は阪急電鉄が経営にあたっていたことがある。阪急が5年間で経営から撤退した後は保津川遊船企業組合が経営にあたっている。現在の保津川下りは約16kmの距離を約2時間かけて行われ、春のツツジ(亀岡市の花)や秋の紅葉などを楽しもうと、四季折々多くの観光客が訪れる。 保津川下りの船頭が2004年に始めたプラスチックごみ拾い活動は、亀岡市による「2030年までに使い捨てプラスチックごみゼロのまちを目指します」宣言(2018年)とプラスチック製レジ袋禁止条例(2020年制定・2021年施行)のきっかけとなった。 かつては、一旦荷物を積んで川を下った高瀬舟は、人に曳かれて約4時間かけて保津川を遡っていた。保津川の右岸には舟曳路が造られ、人夫が川に浮かべた船を曳きながらここを川上へ歩いていた。遊覧船もかつてはこの道を使い川を溯らせて亀岡まで戻していた。現代ではクレーンで吊り上げて遊覧船3艘をトラックに積んで亀岡へ戻る。一方、船頭は特に土日や行楽シーズンには増便して人手も足りなくなるためタクシーで嵯峨野線の嵯峨嵐山駅へ向かい亀岡駅・園部駅方面行きの電車で“保津川を溯って”亀岡へ戻っている。 桂川河川改修事業で行われる堤防嵩上げ工事に伴い、2011年(平成23年)2月1日、従来より30m下流に移転した新しい乗船場での営業を開始した。
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