作品:Measures of Distance(距離の計測)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 06:05 UTC 版)
「モナ・ハトゥム」の記事における「作品:Measures of Distance(距離の計測)」の解説
モナ・ハトゥムの初期のテーマである家族、置換、女性の性によって「Measures of Distance(距離の計測)」は1988年に制作された。この映像作品の長さは15分あり、モナ・ハトゥムの母がシャワーを浴びているカラー写真で親密に構成されている。モナ・ハトゥムはベイルートで内戦を生きる母親の写真に、ロンドンに住むモナ・ハトゥム充ての手紙を重ねている。手書きのアラビア文字の手紙は、映像に物語とテーマを与え、交戦時に手紙を送ることの難しさを伝えている。モナ・ハトゥムはその手紙を、アラビア語と英語で大きな声で読み上げる。この映像は、1981年に彼女が両親とベイルートで果たした短い再開に起因している。最初は母ー娘の関係に関してで、彼女の母は手紙の中でモナ・ハトゥムの父にも言及するため、それによって、父ー娘の関係や夫ー妻の関係も同様にこの映像作品で考察できる。 この映像の要素(手紙、母の彼女と会いたいという願い、母の戦争に対する言及)は、パレスチナとレバノンの戦争が、モナ・ハトゥムと家族の関係とアイデンティティに置き換えられたと考察できる。この映像はドキュメンタリーでもなく、ジャーナリスティックな意味付けもない。このビデオはステレオタイプを批判し、母と娘の距離以外はおおむねポジティブな手紙のナレーションから楽観的であり続ける。モナ・ハトゥムは、彼女と母がベイルートでの再開し、そして彼女がシャワーの写真を撮影したいと訪ねた時の再構成を試みる。イスラエルとパレスチナの抗争(パレスチナ問題)やレバノン内戦に直接言及する代わりに、モナ・ハトゥムは彼女の家族関係と彼女のアイデンティティに交戦はどのように影響を与えているかを描き出す。モナ・ハトゥムは、英語とアラビア語のナレーションによって、西洋圏の観客を突き放しまた同時に引きつけている。 このパレスチナ人女性の肖像は、アラブ人女性に対するステレオタイプさを覆しながら、モナ・ハトゥムの母に声を与えた。テート・モダンは、この肖像について以下のように記述している「娘の芸術制作のプロジェクトを通じ、母は、植民地の家父長制の関わりかから独立したアイデンティティの結びつきを固められ、自由な自己を表現できる」。「Measures of Distance(距離の計測)」は、モナ・ハトゥムの背景を直接語る数少ない作品の一つである。モナ・ハトゥムは、他の作品では、より抽象的で決まった解答のないままにしたものを好む。彼女の他の多くの作品ほど抽象的ではないが、この映像作品の正式な要素をどのように理解するのかという作業が観客には以前としてある。物語がここにあるように、それらはモナ・ハトゥムからは簡単に与えられない。「この映像は”地理的な距離と感情的な近さの逆説的な状態”を映し出しています」。 「Measures of Distance(距離の計測)」は、ロンドン映画祭、アメリカン・フィルム・インスティチュート、モントリオール・ウーマンズ・フィルム・アンド・ビデオフェスティバルで上映されている。
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