伯家記録とは? わかりやすく解説

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伯家記録

主名称: 伯家記録
指定番号 194
枝番 00
指定年月日 2005.06.09(平成17.06.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数
時代区分 平安室町
年代
検索年代
解説文:  『伯家記録』は神祇伯職【じんぎはくしき】を世襲していた白川家伝来日記群である。白川家花山天皇皇子清仁親王を祖とし、親王の子延信王以来その子孫歴代神祇伯就任したことにより、伯家称されている。
 本記録は『顕広【あきひろ】王記』の長寛元年一一六三)に始まり鎌倉時代の『仲資【なかすけ】王記』『業資【なりすけ】王記』『業顕【なりあきら】王西宮参詣【にしのみやさんけい】記』に次いで、『忠富【ただとみ】王記』の永正元年一五〇四)までの二五巻からなる記録である。
 各巻体裁巻子装、『顕広王記』から『業資王記』までは日付一行書き間明【まあき】なし)の具注暦ぐちゅうれき】に直接記載している。
 『顕広王記』は、長寛元年から治承二年(一一七八)までの暦記七巻で、記事には安元二年(一一七六)三月四日から六日にかけて、高倉たかくら天皇行幸により法住寺殿催され後白河法皇五〇歳の御賀(巻第五)などを記している。
 『仲資王記』は治承元年から建保元年一二一三)までの暦記八巻で、安元三年四月二十八日条に「夜大焼亡、自樋口富小路出来大内八省大極殿」(巻第一)などと記す。
 『業資王記』は正治元年一一九九)から建保六年までの暦記五巻で、建久十年一一九九正月十八日条には「関東右大将頼朝、去十一日依所労遁世之由風聞云々」(巻第一)とあり、二十日条には「彼幕下、去十三日薨去已了云々」と、源頼朝死去伝えている。
 『業顕王西宮参詣記』は正安三年記の別記として後年制作されたもので、一四通の文書翻して書かれている内容摂津国広田社および西宮社神祇伯就任初の参詣記である。
 『忠富王記』は明応五年(一四九六)から永正元年までの四巻で、前年具注暦紙背利用している。広田社、松尾社神主補任年貢中心に記述する
 日記料紙には間明なしの具注暦利用されているものの、平安鎌倉時代具注暦直接記載し室町時代具注暦界線利用して紙背に記すという相違点があり、具注暦自体から離れていくさまがうかがえる
 『伯家記録』は、平安時代後期から室町時代前期に至る神祇伯白川家日記で、当時政治・社会動向うかがい知れる第一級史料であり、具注暦用いて記録書き込む日記書き様伝え貴重な原本である。



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