伝説の1976年NBAファイナル第5戦とは? わかりやすく解説

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伝説の1976年NBAファイナル第5戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 10:18 UTC 版)

ポール・ウェストファル」の記事における「伝説の1976年NBAファイナル第5戦」の解説

1975-76シーズン前チャーリー・スコットとのトレードでウェストファルのフェニックス・サンズ移籍が決まる。選手層の厚いセルティックスでは控え選手だったウェストファルだが、中堅チームサンズではエースへと昇格し前年成績大幅に上回る平均20.5得点5.4アシスト2.6スティール記録するという大成長を遂げた新しエース牽引されサンズ4240敗と勝ち越して6年ぶりのプレーオフ進出決めると、プレーオフでは上位シード相手次々とアップセット起こし創部8年目にして初のNBAファイナル進出果たしたファイナル相手皮肉にもウェストファルの古巣ボストン・セルティックスだった。レギュラーシーズン中の戦績遥かに上回るセルティックス圧倒的に優位かに思われたが、サンズセルティックス相手にも善戦し、2勝2敗で第5戦を迎えたオーバータイムもつれる接戦となった第5戦は、1回目オーバータイムでも決着はつかず、2回目オーバータイム突入残り6秒でサンズ1点リード奪い勝利をその手掴みかけていたが、セルティックスジョン・ハブリチェック執念シュート決められ残り1秒という土壇場逆転されてしまった。ここでウェストファルはタイムアウト要求するが、この時点サンズタイムアウト使い切っており、テクニカルファウル食らってセルティックスフリースロー1本を謙譲してしまう。しかしサンズ点差2点広げられるのと引き換えに、コート中央からのスローインという好条件を手にした(ウェストファルのテクニカルファウルなければ自陣ゴール下からのスローインとなるはずだった。この出来事により、リーグは翌シーズンからルール変更している)。インバウンドパスを受け取ったガーフィールド・ハードは僅か1秒の間で見事にジャンプショット決めファイナル第5戦は空前のトリプルオーバータイムへと突入した両チームともすでに限界点突破した時間帯にウェストファルはエース名に恥じぬ活躍セルティックス追い詰めたが、最後セルティックス選手層厚さ屈し互いに死力尽くした第5戦は128126セルティックス勝利となった劇的な場面相次いだこの第5戦は、ファイナル史上最高の試合として名高い。第6戦はセルティックス勝利し、2勝4敗でサンズ敗退決定6年ぶりのプレーオフ進出からファイナルまで到達したこのシーズンサンズ挑戦終わった。 翌1976-77シーズンサンズ3448敗で負け越しプレーオフ出場逃してしまうものの、ウェストファル個人全盛期迎えつつあり、平均21.3得点5.7アシスト成績残して初のオールNBA1stチーム入りを果たすと共にオールスターにも初出場した。1977-78シーズンにはキャリアハイとなる平均25.2得点をあげ、チーム49勝をあげてプレーオフ復帰。ウェストファルの絶頂期と共にサンズ最初黄金期と言える時代迎え、翌1978-79シーズンには初め50勝に到達し、1979-80シーズンには55勝まで伸ばした。ウェストファル個人4年連続オールNBAチーム入り果たしオールスターにも選ばれ続けた。 1980-81シーズン前に、デニス・ジョンソンとのトレードシアトル・スーパーソニックス移籍するが、故障見舞われ、僅か36試合し出場できなかった。翌1981-82シーズンフリーエージェントとなったウェストファルはニューヨーク・ニックス契約する故障から立ち直れず、1983-84シーズン古巣サンズ戻りシーズン終了後現役から引退した。 @media(min-width:720px){.mw-parser-output .columns-start{width:100%}.mw-parser-output .columns-start div.column{float:left}.mw-parser-output .columns-2 div.column{width:50%;min-width:30em}.mw-parser-output .columns-3 div.column{width:33.3%;min-width:20em}.mw-parser-output .columns-4 div.column{width:25%;min-width:20em}.mw-parser-output .columns-5 div.column{width:20%;min-width:20em}}NBA通算成績824試合出場 12,809得点平均15.6得点) 1,580リバウンド平均1.9リバウンド) 3,591アシスト平均4.4アシストFG成功率:50.4% FT成功率:82.0% 主な業績AP通信選出オールアメリカ2ndチーム (1971) オールNBA1stチーム1977, 1979, 1980オールNBA2ndチーム (1978) NBAオールスターゲーム出場19771981背番号44』はフェニックス・サンズ永久欠番

※この「伝説の1976年NBAファイナル第5戦」の解説は、「ポール・ウェストファル」の解説の一部です。
「伝説の1976年NBAファイナル第5戦」を含む「ポール・ウェストファル」の記事については、「ポール・ウェストファル」の概要を参照ください。

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