伝説の1976年NBAファイナル第5戦
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「ポール・ウェストファル」の記事における「伝説の1976年NBAファイナル第5戦」の解説
1975-76シーズン前、チャーリー・スコットとのトレードでウェストファルのフェニックス・サンズ移籍が決まる。選手層の厚いセルティックスでは控え選手だったウェストファルだが、中堅チームのサンズではエースへと昇格し、前年の成績を大幅に上回る平均20.5得点5.4アシスト2.6スティールを記録するという大成長を遂げた。新しいエースに牽引されたサンズも42勝40敗と勝ち越して6年ぶりのプレーオフ進出を決めると、プレーオフでは上位シード相手に次々とアップセットを起こし、創部8年目にして初のNBAファイナル進出を果たした。ファイナルの相手は皮肉にもウェストファルの古巣、ボストン・セルティックスだった。レギュラーシーズン中の戦績で遥かに上回るセルティックスが圧倒的に優位かに思われたが、サンズはセルティックス相手にも善戦し、2勝2敗で第5戦を迎えた。オーバータイムにもつれる接戦となった第5戦は、1回目のオーバータイムでも決着はつかず、2回目のオーバータイムへ突入。残り6秒でサンズは1点のリードを奪い、勝利をその手に掴みかけていたが、セルティックスのジョン・ハブリチェックに執念のシュートを決められ残り1秒という土壇場で逆転されてしまった。ここでウェストファルはタイムアウトを要求するが、この時点でサンズはタイムアウトを使い切っており、テクニカルファウルを食らってセルティックスにフリースロー1本を謙譲してしまう。しかしサンズは点差を2点に広げられるのと引き換えに、コート中央からのスローインという好条件を手にした(ウェストファルのテクニカルファウルがなければ、自陣のゴール下からのスローインとなるはずだった。この出来事により、リーグは翌シーズンからルールを変更している)。インバウンドパスを受け取ったガーフィールド・ハードは僅か1秒の間で見事にジャンプショットを決め、ファイナル第5戦は空前のトリプルオーバータイムへと突入した。両チームともすでに限界点を突破した時間帯にウェストファルはエースの名に恥じぬ活躍でセルティックスを追い詰めたが、最後はセルティックスの選手層の厚さに屈し、互いに死力を尽くした第5戦は128‐126でセルティックスの勝利となった。劇的な場面が相次いだこの第5戦は、ファイナル史上最高の試合として名高い。第6戦はセルティックスが勝利し、2勝4敗でサンズの敗退が決定。6年ぶりのプレーオフ進出からファイナルまで到達したこのシーズンのサンズの挑戦は終わった。 翌1976-77シーズンのサンズは34勝48敗で負け越し、プレーオフ出場も逃してしまうものの、ウェストファル個人は全盛期を迎えつつあり、平均21.3得点5.7アシストの成績を残して初のオールNBA1stチーム入りを果たすと共に、オールスターにも初出場した。1977-78シーズンにはキャリアハイとなる平均25.2得点をあげ、チームも49勝をあげてプレーオフに復帰。ウェストファルの絶頂期と共にサンズも最初の黄金期と言える時代を迎え、翌1978-79シーズンには初めて50勝に到達し、1979-80シーズンには55勝まで伸ばした。ウェストファル個人も4年連続でオールNBAチーム入りを果たし、オールスターにも選ばれ続けた。 1980-81シーズン前に、デニス・ジョンソンとのトレードでシアトル・スーパーソニックスに移籍するが、故障に見舞われ、僅か36試合しか出場できなかった。翌1981-82シーズンにフリーエージェントとなったウェストファルはニューヨーク・ニックスと契約するが故障から立ち直れず、1983-84シーズンに古巣サンズに戻り、シーズン終了後に現役から引退した。 @media(min-width:720px){.mw-parser-output .columns-start{width:100%}.mw-parser-output .columns-start div.column{float:left}.mw-parser-output .columns-2 div.column{width:50%;min-width:30em}.mw-parser-output .columns-3 div.column{width:33.3%;min-width:20em}.mw-parser-output .columns-4 div.column{width:25%;min-width:20em}.mw-parser-output .columns-5 div.column{width:20%;min-width:20em}}NBA通算成績824試合出場 12,809得点(平均15.6得点) 1,580リバウンド(平均1.9リバウンド) 3,591アシスト(平均4.4アシスト) FG成功率:50.4% FT成功率:82.0% 主な業績AP通信選出オールアメリカ2ndチーム (1971) オールNBA1stチーム (1977, 1979, 1980) オールNBA2ndチーム (1978) NBAオールスターゲーム出場 (1977~1981) 背番号『44』はフェニックス・サンズの永久欠番
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