伊勢湾台風からの復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 22:49 UTC 版)
伊勢湾台風の大被害により、日本の災害対策は根本からの変更を迫られた。被災から2週間後の1959年(昭和34年)10月9日には、当時の科学技術庁長官中曽根康弘を委員長とする臨時台風科学対策委員会が設けられ、現地を視察した中曽根は防災のための立法措置を示唆している。そして、1961年(昭和36年)1月に「災害対策基本法」が公布された。災害対策を総合的かつ計画的に進めることとし、防災計画の作成、災害予防、災害発生時の対策や救援、復旧などの基本がまとめられたものである。 また、東京をはじめとする全国各地の防潮堤・堤防の建設や改修も伊勢湾台風を基準とし、伊勢湾沿岸では特に地元三重選出の当時の建設政務次官田村元主導のもとで国や県が協力して防潮堤や堤防を完成させた。高潮の被害にあった愛知県弥富市の鍋田干拓地の堤防は、伊勢湾台風級の高潮が来ても決壊しないように、高いだけでなく幅も広くとって強固に造られ、オランダ式堤防と呼ばれた(ただし、地元では前述の田村に感謝を込めて「田村の堤防」とも呼ばれている)。 これに加え、治水対策が強化された。従来進められていた治水計画を大幅に上回る洪水を記録した河川が多く、建設省や各地方自治体は河川改修を根本的に見直さざるを得なかった。このため、揖斐川や紀の川、櫛田川、淀川などの水系で治水計画が改められ、伊勢湾台風時の洪水に耐えうる治水計画・河川総合開発事業が計画された。これは宮川流域だけが宮川ダムの洪水調節によって浸水被害を最小限に食い止めたことなども影響している。伊勢湾台風を機に計画・建設されたダムとして、徳山ダム・横山ダム(揖斐川)、大滝ダム(紀の川)などがある。 応急仮設住宅として、北海道18戸、群馬県181戸、新潟県35戸、福井県49戸、山梨県412戸、長野県428戸、岐阜県1187戸、静岡県699戸、愛知県7879戸、三重県2509戸、滋賀県52戸、京都府54戸、奈良県515戸、和歌山県89戸、鳥取県6戸、徳島県7戸、高知県72戸の合計14192戸が供与された。
※この「伊勢湾台風からの復興」の解説は、「伊勢湾台風」の解説の一部です。
「伊勢湾台風からの復興」を含む「伊勢湾台風」の記事については、「伊勢湾台風」の概要を参照ください。
- 伊勢湾台風からの復興のページへのリンク