人足寄場の設立とは? わかりやすく解説

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人足寄場の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 10:01 UTC 版)

長谷川宣以」の記事における「人足寄場の設立」の解説

長谷川宣以の名が歴史残ったのは人足寄場創設貢献したことが大きい。後年定信執筆した自叙伝宇下人言」には、人足寄場設置次のように書いている。 「かつ寄場てふ事出来たり、享保の比よりしてこの無宿てふもの、さまざまの悪業をなすが故に、その無宿を一囲に入れ置き侍らばしかるべしなんど建議もありけれど果さず、その後養育所てふもの、安永の比にかありけん、出で来にけれどこれも果さず、ここによって志ある人に尋ねしに、盗賊改をつとめし長谷川何がしこころみんといふ」 人足寄場以前幕府無宿人対策として宝暦9年(1759)に江戸無宿人達を捕らえ佐渡金山人足として送り込む制度はじめた。しかしこの対策にも限界があった。さらに田沼時代安永9年1780年)に南町奉行牧野成賢深川茂森町設立した無宿養育所というものを設置した定信はこの無宿養育所について言及しているが当時は千数百人と捕らえ放り込んだが、そのうち千人以上が死んだという。定信はこれら過去無宿人対策参考人足寄場制度考えた思われる。そして「志ある人」を募ったところ名乗りをあげたのが長谷川宣以であった寛政元年1789年)そうして名乗りを上げた宣以は「寄場起立」と題した建議書を定信提出し認められたことにより宣以が指揮をとることとなった人足寄場初年度予算は米五千俵・金五百両と限られていた。また、巷に溢れかえっている無宿可及的速やか掃討望まれていた。そのためには収容所をなるべく短時日かつ安価に作り上げなければならなかった。宣以は予算節約為に地ならしなどの寄場建設作業寄場人足にやらせ費用節約勤しんだ。翌年人足寄場費用は米三千俵・金三百両減らされた。この窮状打破すべく宣以は定信許可得て官費元に銭相場使い寄場費用を賄おうとした。宣以が行った銭相場使った収入策について、日本中世近世史専門とする高木久史が自書通貨日本史」の中で説明している。高木は「(定信は)銭高への誘導図った実務担ったのが火付盗賊改長谷川宣以平蔵)である(中略)ではなぜ平蔵導いたのか。財政収入目的である。銭安のときに銭を買い上げ流通量減らし銭高になったところで銭を支出すれば利益が出る。その利益人足寄場維持費にあてた」と書いている。 寄場内には病人小屋一棟作られた。門、役所見張番所設け対岸江戸市街連絡するため対岸本湊町には舟着場特設され、寄場には井戸掘り熱病煩う者が多いため人足希望したというので、稲荷小祠まで建てられている。寄場内の収容者大工建具塗物紙漉き米搗き、油絞り牡蠣殻灰製造炭団作り細工などに従事した。これらの作業に対して賃金内の3分の1強制的に積み立てさせられ出所時に生業復興資金として渡された。 人足寄場取り組みは今でいう軽度犯罪者虞犯に対して教育的自立支援的なアプローチだった。定信人足寄場と宣以について「宇下人言」においてこう語っている「この人寄場によって無宿人たちは自然と減り犯罪少なくなった。 すべて長谷川宣以功績である。長谷川利益貪るために山師のような悪行をすると人々悪く言うが、そうした者でないとこの事業行えない」。

※この「人足寄場の設立」の解説は、「長谷川宣以」の解説の一部です。
「人足寄場の設立」を含む「長谷川宣以」の記事については、「長谷川宣以」の概要を参照ください。

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