人が係わる歴史とは? わかりやすく解説

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人が係わる歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 04:16 UTC 版)

穂高岳」の記事における「人が係わる歴史」の解説

1880年明治13年) - ウィリアム・ゴーランド上條嘉門次案内にして、明神岳登頂した1893年明治26年) - 測量官の館潔彦前穂高岳初登頂した。同年ウォルター・ウェストン前穂高岳登頂した1906年明治39年) - 測量官の阿部郡治奥穂高岳初登頂した。 1909年明治42年8月 - 鵜殿正雄らのパーティー奥穂高岳登頂し槍ヶ岳への縦走行った1911年明治44年)夏 - 小島烏水奥穂高岳登頂し槍ヶ岳への縦走行った1912年大正2年8月 - 鵜殿正雄が西穂高岳から奥穂高岳へ初縦走した。 1924年大正13年) - 今田重太郎穂高岳山荘開業した1925年大正14年8月11日 - ロック・クライミング・クラブ藤木九三松井憲三パーティー北穂高岳滝谷初登攀した。同日数時間遅れて早稲田大学山岳部パーティー第二登した。 1927年昭和2年7月 伊藤愿が北穂高岳滝谷単独初登攀1939年昭和14年) - 上高地登山案内組合涸沢小屋開業した1941年昭和16年) - 山案内人村上守が西穂山荘建設した北アルプス南部通年営業を行う唯一の山小屋である。 1948年昭和23年) - 小山義治北穂高小屋建設した1951年昭和26年) - 朋文堂の新島章男が涸沢ヒュッテ建設した1955年昭和30年1月2日 - 前穂高岳東壁にてナイロンザイル事件起きた1956年昭和31年) - 山案内人の上親人(かみじょうちかと)が岳沢ヒュッテ (現在の岳沢小屋) を建設した1957年昭和32年3月 - 芳野満彦らが、前穂高岳IV正面壁に積雪期初登攀した。 1967年昭和42年8月1日 - 西穂高岳落雷遭難事故起きた1969年昭和44年1月 - 吉尾弘穂高屏風岩中央JECCルート積雪登攀した。 1970年昭和45年7月 - 新穂高ロープウェイ開業した2006年平成18年) - 翌年にかけての平成18年豪雪により岳沢ヒュッテ倒壊し営業休止した2009年平成21年9月11日午後3時20分頃 - 岐阜県防災ヘリコプター登山者救出中に奥穂高岳山頂付近岩壁接触し墜落事故起こした2010年平成22年7月23日 - 倒壊した岳沢ヒュッテ岳沢小屋改称のうえ、営業再開した

※この「人が係わる歴史」の解説は、「穂高岳」の解説の一部です。
「人が係わる歴史」を含む「穂高岳」の記事については、「穂高岳」の概要を参照ください。

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