人が係わる歴史
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1880年(明治13年) - ウィリアム・ゴーランドが上條嘉門次を案内にして、明神岳に登頂した。 1893年(明治26年) - 測量官の館潔彦が前穂高岳に初登頂した。同年にウォルター・ウェストンも前穂高岳に登頂した。 1906年(明治39年) - 測量官の阿部郡治が奥穂高岳に初登頂した。 1909年(明治42年)8月 - 鵜殿正雄らのパーティーが奥穂高岳に登頂し、槍ヶ岳への縦走を行った。 1911年(明治44年)夏 - 小島烏水が奥穂高岳に登頂し、槍ヶ岳への縦走を行った。 1912年(大正2年)8月 - 鵜殿正雄が西穂高岳から奥穂高岳へ初縦走した。 1924年(大正13年) - 今田重太郎が穂高岳山荘を開業した。 1925年(大正14年)8月11日 - ロック・クライミング・クラブの藤木九三、松井憲三パーティーが北穂高岳滝谷に初登攀した。同日、数時間遅れて早稲田大学山岳部パーティーが第二登した。 1927年(昭和2年)7月 伊藤愿が北穂高岳滝谷を単独初登攀。 1939年(昭和14年) - 上高地登山案内組合が涸沢小屋を開業した。 1941年(昭和16年) - 山案内人の村上守が西穂山荘を建設した。北アルプス南部で通年営業を行う唯一の山小屋である。 1948年(昭和23年) - 小山義治が北穂高小屋を建設した。 1951年(昭和26年) - 朋文堂の新島章男が涸沢ヒュッテを建設した。 1955年(昭和30年)1月2日 - 前穂高岳東壁にてナイロンザイル事件が起きた。 1956年(昭和31年) - 山案内人の上条親人(かみじょうちかと)が岳沢ヒュッテ (現在の岳沢小屋) を建設した。 1957年(昭和32年)3月 - 芳野満彦らが、前穂高岳IV峰正面壁に積雪期初登攀した。 1967年(昭和42年)8月1日 - 西穂高岳落雷遭難事故が起きた。 1969年(昭和44年)1月 - 吉尾弘が穂高屏風岩中央壁JECCルートを積雪期登攀した。 1970年(昭和45年)7月 - 新穂高ロープウェイが開業した。 2006年(平成18年) - 翌年にかけての平成18年豪雪により岳沢ヒュッテが倒壊し、営業を休止した。 2009年(平成21年)9月11日午後3時20分頃 - 岐阜県防災ヘリコプターが登山者の救出中に、奥穂高岳山頂付近で岩壁に接触し墜落事故を起こした。 2010年(平成22年)7月23日 - 倒壊した岳沢ヒュッテが岳沢小屋に改称のうえ、営業を再開した。
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