井の頭弁財天とは? わかりやすく解説

大盛寺

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/14 13:43 UTC 版)

大盛寺
所在地 東京都三鷹市井の頭4丁目26-1
位置 北緯35度41分56秒 東経139度34分28秒 / 北緯35.69889度 東経139.57444度 / 35.69889; 139.57444座標: 北緯35度41分56秒 東経139度34分28秒 / 北緯35.69889度 東経139.57444度 / 35.69889; 139.57444
山号 明静山
宗旨 天台宗[1]
本尊 薬師如来[1]
創建年 不詳[2]
開山 辨泉[1]
正式名 明静山 圓光院 大盛寺
別称 井の頭辨才天
法人番号 9012405001654
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大盛寺(だいせいじ)は、東京都三鷹市井の頭にある天台宗の寺院。山号は明静山。院号は円光院。本尊は薬師如来。都立井の頭恩賜公園内・井の頭池にある井の頭弁財天の本坊でもある。

歴史

井の頭弁財天
黒い参門と道標
歌川広重『名所雪月花』で描かれた雪景の井の頭弁財天

大盛寺の創建の詳細については不詳であるが、1652年承応元年)に寺院となったと伝えられる[3]

井の頭弁財天

井の頭弁財天堂は、『井之頭略縁起』によれば平安時代天慶年間(938年947年源経基が創建したものと伝えられ、その後源頼朝1197年建久8年)に再建し、別当となる坊舎が立てられたと伝えられる[4]1333年元弘3年)新田義貞鎌倉を攻めた際に焼失し衰退していたが、江戸時代に入り3代将軍徳川家光によってようやく再興されたという。1923年大正12年)の関東大震災で被害を受け、現在の堂舎は昭和初期に再建されたものである[4]。 縁起によれば、本尊の弁財天像は789年延暦8年)[5]平安時代の僧で最澄の作と伝えられている[6]

甲州街道高井戸から分け入り久我山牟礼村を経て参道に至る道筋には、要所要所「井のかしら弁天道」などの道標が建てられている。特に参道入り口・黒い参門の横にある1745年延享2年)の「神田御用水源井頭弁財天」と刻まれた棹石は長さ2.4mと堂々としたものである[7]

弁天堂の周囲には、宇賀神像(年代不詳)[6]1771年明和8年)の狛犬手水鉢1817年文化14年)の石橋(一番組・湯屋講寄進)、1833年天保4年)石燈篭(伊勢屋伊兵衛=現・にんべんら寄進)[8]、など多くの寄進物が見られ、弁天信仰が盛んであったことを感じられる[9]

七井不動尊

弁天堂の正面から左手奥へ進んだところに、七井不動尊の小さなお堂がある。

所在地

  • 大盛寺
    • 東京都三鷹市井の頭4-26-1
  • 大盛寺別院(墓地)

脚注

参考文献

  • 柳公子、赤木穆堂・松岡六郎『井の頭史跡散歩 : 付・やさしい三鷹・武蔵野市の歴史』武蔵野郷土史刊行会、武蔵野(東京)、1979年5月。 NCID BA33073921 
  • 坂本正仁、ほか『多摩のお寺めぐり』雄山閣出版、1993年、80-81頁。ISBN 4639011806NCID BN10373225 
  • 安田知代『井の頭公園まるごとガイドブック』ぶんしん出版、三鷹、2008年5月。ISBN 9784893901026 

関連項目

外部リンク


井の頭弁財天

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大盛寺」の記事における「井の頭弁財天」の解説

井の頭弁財天堂は、『井之頭略縁起によれば平安時代天慶年間938年947年源経基創建したものと伝えられその後源頼朝1197年建久8年)に再建し別当となる坊舎立てられたと伝えられる1333年元弘3年新田義貞鎌倉攻めた際に焼失し衰退していたが、江戸時代入り3代将軍徳川家光によってようやく再興されたという。1923年大正12年)の関東大震災被害を受け、現在の堂舎昭和初期再建されたものである縁起によれば本尊弁財天像は789年延暦8年平安時代の僧で最澄の作と伝えられている。 甲州街道高井戸から分け入り久我山牟礼村経て参道に至る道筋には、要所要所「井のかしら弁天道」などの道標が建てられている。特に参道入り口・黒い参門の横にある1745年延享2年)の「神田御用水源井頭弁財天」と刻まれ棹石長さ2.4mと堂々としたのである弁天堂周囲には、「我こそ弁天化身だ」と申して池に入水し白蛇になった松原3枚が首にある娘を偲んで供養のために作られたと伝えられる宇賀神像(年代不詳)、1771年明和8年)の狛犬鳥居手水鉢1817年文化14年)の石橋(一番組湯屋寄進)、1833年天保4年石燈篭伊勢屋兵衛=現・にんべん寄進)、など多く寄進物が見られ弁天信仰の盛んであった感じられる

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