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五稜郭跡 (北海道)


五稜郭跡

名称: 五稜郭跡
ふりがな ごりょうかくあと
種別 特別史跡
種別2:
都道府県 北海道
市区町村 函館市五稜郭町本通一丁目
管理団体 函館市(大12・1213),(昭4・414)
指定年月日 1922.10.12(大正11.10.12)
指定基準 史2
特別指定年月日 昭和27.03.29
追加指定年月日 昭和4.04.02
解説文: 安政三年蝦夷地警備ノ爲函館奉行竹内保徳等ノ築ケルニシテ元治元年ニ至リテ成リ函館奉行此ニ居ル明治維新ノ際一旦裁判所ヲ置キシニ尋テ幕臣榎本釜次郎等此ニ據リ官軍メテ之ヲ降セリ同五年開拓使建造物ヲ毀タシム
蝦夷地警備のため、箱館奉行の治所として奉行竹内保徳等の築いたものであって安政四年工事着手元治元年五月略々竣功六月奉行小出秀実がここに移った明治元年一月裁判所置いたが、ついで幕臣榎本釜次郎等がこれに據ったので官軍は翌二年攻めてこれを降した
平地営まれ平面五稜形をなしていて、石塁土塁めぐらし南西凾館湾方面に向って入角大手虎口開いている。北及び東にもまた夫々虎口開き大手前面のみに略々三角形状の馬出が、同じく稜角外部向けて築かれている。而して周囲には亀田川を引く外濠めぐらされ、その外側には北部除いて稜形土塁連り虎口左右馬出及び濠側は石垣を以て堅められていて主要部石垣頂部には■出がある。
この設計者は諸術取調教授武田斐三郎であって最初設計比すれば省略されているが洋風稜堡築城経始ならったのである
建造物明治五年開拓使によって■たれまた改変されたところもあるがよく旧規とどめていて城郭史上重要であると共に幕末における洋学採用一端を示すものとして学術極めて価値が高い。
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