二・二六事件批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 06:47 UTC 版)
二・二六事件の批判をした論文には次がある。 矢内原忠雄「落飾記」(『通信』1936年2月29日)「血気の勇ありて、正義なく、信念ありて、知識なく、暴力に恃んで、国事を左右せんとす」。「上に権威なく、下に秩序なく、ついに内乱に近き状態を現すに至った」。「形式的の国体明徴論者は実質的の国体破壊者であるのだ」。 桐生悠々「皇軍を私兵化して国民の同情を失った軍部」(『他山の石』1936年3月5日)「だから言ったではないか、五・一五事件の犯人に対して一部国民があまりに盲目的雷同的の賛辞を呈すれば、これが模倣を防ぎあたわないと」。「彼等自身が最大罪悪、最も憎むべき国家的行動として、憤怒しつつあった皇軍の私兵化を敢えてして、憚らなくなった」。「軍部よ、今目覚めたる国民の声を聞け」。 河合栄治郎「二・二六事件の批判」(『帝国大学新聞』1936年3月9日)(1) 一部少数の者が暴力を行使して国民多数を蹂躙する。暴力所有者が決定権を持つ道理はない。「我々が晏如として眠れる間に、武器を持つことそのことのゆえのみで、我々多数の意志は無のごとくに踏み付けられるならば、まずあらゆる民衆に武器を配布して、公平なる暴力を出発点として、我々の勝敗を決せしめるにしくはない」。 (2) 軍部が主導したことでその非は倍加する。軍人には本来業務がある。 (3) 知識階級の無力が暴力賛美を生み出す。「暴力は一時世を支配しようとも、暴力自体の自壊作用によりて、瓦解する。真理は一度地に塗れようとも、神の永遠のときは真理のものである」。 石橋湛山「不祥事事件と言論機関の任務」(『東洋経済新報』1936年3月)「ことに遺憾なのは言論機関の態度である。彼等はなんらかことが起こると、必ず痛烈に要路のものを攻撃し、嘲笑し、罵倒する。しかし彼等自身がいかなる具体的建設案を提示したことがあるであろうか」。 河合栄治郎「時局に対して志を言う」(『中央公論』1936年6月)決起を起こした軍人が提起する問題を、暴力を用いずとも、解決するための方策を提案する。(1) 国際平和機構の建設、(2) 議会主義の確立、(3) 政治機構の改革、(4) 社会制度の改革、(5) 教育制度の改革
※この「二・二六事件批判」の解説は、「ファシズム批判」の解説の一部です。
「二・二六事件批判」を含む「ファシズム批判」の記事については、「ファシズム批判」の概要を参照ください。
- 二・二六事件批判のページへのリンク