二・二六事件での行動とは? わかりやすく解説

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二・二六事件での行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 05:08 UTC 版)

中橋基明」の記事における「二・二六事件での行動」の解説

昭和11年2月10日歩兵第3連隊週番司令室で、歩兵第3連隊第6中隊長安藤輝三大尉歩兵第1連隊付け栗原安秀中尉所沢陸軍飛行学校河野寿大尉、元一等主計磯部浅一集合し決起する準備とりかかることを決める。 25日 午後10時30分頃、部下下士官連れて弾薬受け取りのため歩1の栗原中尉のもとを訪れる。 26日 午前4時20分、近歩3第7中隊非常呼集かけられる午前4時40分 同隊が出発午前5時 同隊は高橋是清蔵相私邸襲撃開始する。 午前5時5分頃 同隊は高橋蔵相殺害中橋隊は、午前5時10分ころ高橋是清大蔵大臣殺害した後、宮城に向かう。 午前6時ころ宮城守衛隊司令官門間(かどま)健太郎少佐坂下門警備願い出て休憩の後、午前7時半ころ坂下門警備についた午前8時ころ、中橋警視庁占拠していた野中四郎大尉清原康平少尉手旗信号送ろうとしたところ、疑い抱いた門間少佐部下止められた。中橋休憩でぐずぐずしていたのは、皇居周辺皇軍同士争いが起こることをおそれたためではないか清原康平少尉は「遂に待ちぼうけだったか」と思ったそうである。 午後3時20分 「陸軍大臣告示」が告示30分には中橋含む決起将校達に下達される。 27日午後2時~5時の間 栗原中尉少尉を除く決起将校達(中橋含む)が真崎大将会見する。夜 栗原と共に首相官邸宿営する下士官原隊復帰せよとの報告が入る。 午後 将校達は部隊下士官対し檄文発表する内容以下の通りである(本来は縦書きである)。 檄文尊王討奸の義軍如何なる大軍兵器恐れるものではない。又如何なる邪智策謀をも明鏡によって照破する、皇軍と名のつく軍隊我が義軍討て道理がない。大御心奉戴せる軍隊我が義軍に対して全然同意同感し、我が義軍激励しつつある。全国軍隊各地蹶起せんとし全国民歳を絶叫しつつある。 八百万(やおろづ)の神々我が至誠感応加護垂れ給ふ至誠天聴達す義軍飽くまで死生を共にし昭和維新天岩戸開きを待つのみ。 進め進め一歩も退くな、一に勇敢、二にも勇敢、三に勇敢、以て聖業翼賛奉れ昭和11年2月28日 維新義軍 29日午後0時50中橋含む将校達が免官となる。午後1時前 安藤隊除く反乱部隊中橋隊含む)が帰順反乱将校として中橋陸相官邸招集される午後3時 戒厳司令部事件の終結宣言3月2日午後3時25反乱部隊将校達20名の地位階級返上されたことが発表される4月28日 特設軍法会議将校斑の初公判開廷する6月4日会議第23回公判論告求刑が行われる。 7月5日会議判決下される中橋含む死刑17名、有罪76名)。 12日午前7時54中橋中尉丹生中尉坂井中尉田中中尉中島中尉死刑銃殺刑)が陸軍刑務所執行される9月26日 陸軍二・二六事件の全処理を完了した発表

※この「二・二六事件での行動」の解説は、「中橋基明」の解説の一部です。
「二・二六事件での行動」を含む「中橋基明」の記事については、「中橋基明」の概要を参照ください。

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