亀田家問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 02:30 UTC 版)
「日本ボクシングコミッション」の記事における「亀田家問題」の解説
2006年9月27日に行われた、亀田大毅の試合終了後において、父親でありトレーナーである亀田史郎が会場の後楽園ホールにおいて息子に対しての観客のヤジに怒り暴力騒動を起こし後楽園ホールの所轄である警視庁富坂警察署が関係者に事情聴取を行うという異常な事態にまで発展した。これに対し史郎トレーナーらにJBCは厳重注意処分を行った。 次に、2007年3月24日に行われた、亀田興毅対エベラルド・モラレス戦においてレフェリーを務めた浦谷信彰に対し史郎トレーナーが暴言を吐き、浦谷がライセンス停止を含む厳正な処分を求める要望書を提出、これについて史郎トレーナーが謝罪したためJBCは厳重注意処分とした。 今度は、2007年10月11日に行われた、亀田大毅対内藤大助の試合で、大毅が内藤を試合中に繰り返し悪質なサミング・投げ飛ばす(レスリング行為)などといった反則行為を行い、それに加えセコンドの興毅の「目を狙え」といった発言をテレビカメラに撮られたり、史郎トレーナーが再度恫喝騒動を起こしたりなど、問題となった。その後、史郎トレーナーはセコンドライセンス無期限停止処分を科された。2008年に亀田兄弟は協栄ジムを離脱し、新しい会長を据えて設立された亀田ジムに所属。 2010年2月頃に史郎の処分解除へ向けて東日本協会が賛成多数で可決してほぼ確実とされていたが、3月28日の亀田興毅対ポンサクレック・ウォンジョンカム戦後に史郎トレーナーが再び恫喝騒動を起こし、ライセンス資格取消(事実上の永久追放)に至った。それ以後、史郎は兄弟にトレーナーとしてもセコンドとしても着くことはできなかったが、2013年8月1日にフィリピンで実施された亀田和毅のWBO世界バンタム級タイトルマッチでは、国外の試合でJBC規定が適用されないため、セコンドについた。また亀田大毅が2013年9月3日に国内でIBF王座に挑戦することになり、2013年8月3日に「日本でセコンドにつきたい」とJBCへ復帰を申請した。結局は試合までにJBCから復帰が認定されることはなかった。2014年2月、昨年12月の亀田大毅の統一王座戦に絡んだ「負けても王座保持問題」に絡み、亀田ジムはライセンスが取り消されている史郎の影響力が大きいことが問題視されて亀田ジムの会長とマネージャーのライセンス更新が拒否され、史郎の影響力が排除されたジムでないと亀田兄弟は事実上日本国内で活動できないことが報じられている。 一方、亀田興毅ら3兄弟側がJBCから受けた処分を受けたことを争う裁判では2022年2月24日、東京高裁がJBCの処分は違法との判断を下し、JBCとその理事らに約1億円の賠償を命じた。
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