中村真衣とは? わかりやすく解説

中村 真衣

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芸名中村 真衣
芸名フリガナなかむら まい
性別女性
生年月日1979/7/16
星座かに座
干支未年
ブログURLhttp://ameblo.jp/nakamura-mai/
プロフィール4歳水泳をはじめ、中学3年で日本選手権100m背泳ぎ優勝1996年高校2年生時にアトランタ五輪100m背泳ぎで4位入賞.。中央大学在学中2000年シドニー五輪100m背泳ぎ銀メダル獲得女子4×100mメドレーリレーでは銅メダル獲得した2007年引退後は、スイミングアドバイザーとして水泳指導中心に活動また、新潟県より初代「元気大使」として任命され健康づくり普及啓発活動行っている。
職種スポーツ

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中村真衣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/20 23:13 UTC 版)

中村真衣
選手情報
フルネーム 中村真衣
国籍 日本
泳法 背泳ぎ
所属 JSS長岡
生年月日 (1979-07-16) 1979年7月16日(46歳)
生誕地 新潟県長岡市
身長 170cm[1]
体重 67kg[1]
獲得メダル
競泳女子
オリンピック
2000 100m背泳ぎ
2000 4×100mメドレーリレー
世界水泳選手権
1998年 100m背泳ぎ
1998年 200m背泳ぎ
1998年 4×100mメドレーリレー
世界短水路選手権
1999年 100m背泳ぎ
1999年 200m背泳ぎ
1999年 4×100mメドレーリレー
1999年 50m背泳ぎ
アジア競技大会
1998年 100m背泳ぎ
1998年 200m背泳ぎ
1994年 100m背泳ぎ
パンパシフィック水泳選手権
1997年 100m背泳ぎ
1997年 200m背泳ぎ
1999年 100m背泳ぎ
1995年 100m背泳ぎ
1997年 4×100mメドレーリレー
1999年 4×100mメドレーリレー
ユニバーシアード
2001年 100m背泳ぎ
2001年 50m背泳ぎ
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中村 真衣(なかむら まい、1979年7月16日 - )は、新潟県長岡市出身の元競泳選手。2000年シドニーオリンピック100m背泳ぎ銀メダリスト・400mメドレーリレー銅メダリスト。

経歴

中村が幼い頃に両親が離婚し、以後母親の手ひとつで育てられた。

4歳から市内のスイミングスクール、JSS長岡に通ったが、徐々に力をつけ地元の大会で好成績を収めるようになる。中学3年生で日本選手権100m背泳ぎで初優勝を果たした。

1996年、高校2年生で1996年アトランタオリンピックに出場するが、女子100m背泳ぎは4位入賞と惜しくも表彰台を逃した。ほか女子200m背泳ぎは9位、女子4x100mメドレーリレー田中雅美青山綾里千葉すず)は予選落ちに終わった。

1998年中央大学法学部に進学するが、故郷の母親を気遣い、引き続きJSS長岡に籍を残し、以後大学の大会以外にはJSS長岡登録選手として出場した。

大学3年で出場した2000年シドニーオリンピックに出場。女子100m背泳ぎでは惜しくも優勝を逃したが2位入賞を果たして銀メダルを獲得。そして女子4×100mメドレーリレー(田中雅美・大西順子源純夏)では3位入賞で銅メダルを獲得、五輪で2つのメダルを獲得した。

2002年に中央大学卒業後は直ちに帰郷、プロスイマーに転向し、2004年アテネオリンピックへの出場を目指したが、中村礼子ら後輩の成長や自身の体の衰えもあり、3大会連続の五輪出場を逃した。引退を考えていた矢先の2004年10月23日新潟県中越地震に被災、母親と数日間の車中泊も経験。そこで「もう一度奮起することで、ふるさとの人たちを勇気付けたい」と、現役続行を決断した。

しかしやはり体の衰えには勝てず、2006年に入ると、肩の不調を訴えるようになった。この年の日本選手権で代表を勝ち取った2007年の世界選手権で惨敗。間を置かずに行われた日本選手権には出場せず、同年4月27日、地元長岡で選手引退を表明した。今後については、何らかの形で水泳にかかわっていきたいとしており、現在は主に、子供を対象とした水泳指導を中心に活動している。また、同年6月27日テレビ東京系列で放送された『いい旅・夢気分』では、かつての代表としての戦友でもある田中雅美・岩崎恭子とともに伊豆を旅した(岩崎・田中は元々仲がいい友達であり同番組には度々登場していたが、中村が引退してタレント活動もできるようになったのを契機に、大学の先輩である田中から声がかかったようである)。

2013年9月から1年間アメリカ合衆国へコーチ留学を行った[2]

2025年の参院選新潟県選挙区に向けた自由民主党新潟県連が行う候補者の公募に応募したことが、2024年7月6日に判明[3][4]。同年9月20日、自民党新潟県連は中村を公認候補とするよう党本部に申請することを決めた[5][6]。自民党は、同年11月28日、翌年の参院選で中村を公認すると発表した[7]。当開票の結果、落選[8]

出演

選挙歴

当落 選挙 執行日 年齢 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
第27回参議院議員通常選挙 2025年07月20日 46 新潟県選挙区 自由民主党 42万8167票 39.24% 1 2/4 /

脚注

外部リンク

記録
先代
ニーナ・ズヒベインスカヤ
女子50m背泳ぎ
世界記録保持者(長水路)

2000年4月25日 – 2000年6月17日
次代
サンドラ・ボルカー



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