柴田隆一とは? わかりやすく解説

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柴田隆一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/19 14:48 UTC 版)

柴田 隆一
国籍 日本
泳法 バタフライ
生年月日 (1983-12-14) 1983年12月14日(40歳)
生誕地 熊本県
身長 173cm
体重 72kg
獲得メダル
アジア競技大会
2006 ドーハ 男子200mバタフライ
パンパシフィック水泳選手権
2006 ビクトリア 男子200mバタフライ
ユニバーシアード
2005 イズミル 男子400mメドレーリレー
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柴田 隆一(しばた りゅういち、1983年12月14日 - )は、日本競泳選手。

経歴

両親は自衛官[1]、熊本県にある母親の実家で生まれた。生まれてすぐに沖縄県豊見城市に引越し、3、4歳でぜんそくを治すために水泳を始め、小学校5年の頃にバタフライを専門にするようになった[2]、小学校6年から福岡県大野城市に移り、大野城市立平野中学校に通った。3学年年下の春口沙緒里の省エネ泳法を習得し、中学校3年の時、ジュニアオリンピックで初優勝を果たした[3]

中学卒業後、東京都日本大学豊山高等学校に進学、高校総体の100mバタフライ、200mバタフライでも優勝している[1]

日本大学在学中の2005年にインカレで優勝している[2]。またこの年の世界水泳選手権の200mバタフライでは予選で全体トップの1分56秒60を出し[4]、準決勝では1分57秒36の8位で決勝に進出した[5]、決勝では5位タイとなった。

2006年パンパシフィック水泳選手権マイケル・フェルプスに次ぐ2位となった[6]

2007年3月の世界水泳選手権のバタフライでは5位となった。同年8月のインターナショナル・スイム・ミート2007の200mバタフライでは2位となった。

2008年4月の日本選手権水泳競技大会の200mバタフライで山本貴司松田丈志を破り日本代表に選ばれた[2]。オリンピックでは準決勝で敗退[7]、13位となった。

脚注

  1. ^ a b 競泳・柴田隆一(チームアリーナ)<上>周到準備で重圧克服”. 西日本新聞 (2008年7月2日). 2012年7月28日閲覧。
  2. ^ a b c 渡辺正和 (2008年6月23日). “北京の星”. スポーツナビ. 2012年7月28日閲覧。
  3. ^ 競泳・柴田隆一(下)(チームアリーナ)天才少女を追い掛け”. 西日本新聞 (2008年7月2日). 2012年7月28日閲覧。
  4. ^ 柴田隆が1位で予選突破 北島も準決勝へ世界水泳 第10日午前”. スポーツナビ (2005年7月27日). 2012年7月28日閲覧。
  5. ^ 中村礼、森田共に4位 北島は日本新で決勝へ(大会10日目 午後 7/26)”. 日本水泳連盟 (2005年7月26日). 2012年7月28日閲覧。
  6. ^ 第48回日本短水路選手権水泳競技大会”. 日本水泳連盟 (2007年). 2012年7月28日閲覧。
  7. ^ 2008年8月12日 水泳・競泳 結果・記録”. 日本オリンピック委員会 (2008年8月12日). 2012年7月28日閲覧。

関連項目

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