中国の太陰太陽暦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 08:45 UTC 版)
詳細は「中国暦」を参照 中国大陸でも有史以来、朔望月による「太陰暦」が使われ、暦と季節のずれを正すための閏月が暦に入れられた。メトン周期の原理が知られるより前には、暦にいつ閏月を入れるかについては冬至を基準にして定めることがあった。冬至の日を一年の日数の始まりとし、冬至が含まれる月を決めておく(後代では冬至がくるのは十一月としている)。そして暦をそのまま使い続けると、「太陰暦」の一年は冬至がふたたび来る日数(太陽暦の一年)より短いので、その決められた月に冬至が来なくなる。そこでその年を閏月の入る年にして、年末に閏月を置き一年を13か月とした。冬至がいつ来るかの判断は天体の観測による。中国では古来より冬至が暦の基準として重んじられており、これはのちの時憲暦にも受け継がれている。 やがて中国でメトン周期が知られるようになると、この原理に従って19年の間に7回、閏月を置くようになった。これを「章法」という。しかし「太陰暦」の19年と7か月は、じつはわずかながら地球が太陽を19回まわる日数(太陽暦の19年)より長い。たとえわずかでも長年にわたってそのまま暦を使い続ければ、暦と季節のあいだに大きなずれを生むことになる。それに気付いた当時の人々は、暦に閏月の入る割合を減らすことで対処した。これを「破章法」という。 ただし上で述べた閏月の入れ方だと、年によってはひと月も暦が実際の季節からずれることがあった。そこで暦に二十四節気が用いられた。二十四節気は地球が太陽を1周する日数を24等分、約15日毎に分けたもので、約15日ごとに「立春」をはじめとする名称を付け、節気(正節)と中気が交互に来るようにしている。その二十四節気を実際の季節の目安としたのである。 そしてさらに、二十四節気の中気で以って閏月を入れるかどうかを決めるようになった。正節(節気)から次の正節までの間を節月という。節月は約30日であり、朔望による1か月よりも長い。よって暦と季節とのずれが蓄積されてゆくと、中気を含まない月が生じることになる。この中気を含まない月を閏月とし、また月名もその月に含まれる中気によって決め、例えば「雨水」を含む月を「一月」(正月)とした。この暦法によって閏月を年末ではなく年中に置き、暦と季節のずれもおおむね半月程度に抑えることが出来るようになった。月名と節気・中気の組合せは以下の通りである。 月名一月二月三月四月五月六月七月八月九月十月十一月十二月節気立春 啓蟄 清明 立夏 芒種 小暑 立秋 白露 寒露 立冬 大雪 小寒 中気雨水 春分 穀雨 小満 夏至 大暑 処暑 秋分 霜降 小雪 冬至 大寒 中国大陸では幾度となく改暦を経ながらも、太陰太陽暦が長らく公式に使われてきたが、宣統3年(1911年)、南京に中華民国臨時政府が起り、この年の11月13日を以って暦を太陽暦(グレゴリオ暦)に改め、1月1日とした。しかし太陰太陽暦を古来より使い続け生活してきた一般民衆にとっては、そう簡単に太陽暦へ暦を切替えることはできず、太陽暦はなかなか普及しなかった。その後紆余曲折を経て太陽暦が公式の暦として定まるようにはなったが、中国では現在も太陽暦のほかに、「春節」と称して太陰太陽暦(時憲暦)に基づく新年が祝われている。
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