下町の結核患者とは? わかりやすく解説

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下町の結核患者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 08:38 UTC 版)

のんきな患者」の記事における「下町の結核患者」の解説

次郎は親への負担顧みる同時に実家周辺の人々暮らしぶり世間目を向け自分と同じ結核患者達末路見聞した。 僕もこちらへ帰つてから小さ町の人達がどんな風に結核やられてゆくかをいくつも見聞いたしました。ある若い独り者は首を吊りました。大家がその紐を競売して家賃滞り借金などを済し葬式出してやつたさうです あるまた若い男は何とか教の寺へ行つてたくさんの病人達と「信心で癒る」といふやつで暮してゐたのださうです 一年か経つて和尚の云ふには、お前はもう病ひは綺麗にぬけたが寿命がない この上は家へ帰つて仕度放題のことをして死になさい それで家へ帰つて来たのですが間なし死にました 尤も死ぬまで快活だつたさうです。 — 梶井基次郎川端秀子宛て書簡」(昭和4年8月20日付) この阿倍野町で結核患う人々のほかの挿話一部魚屋の咳)は『交尾』で触れられているが、より具体的に様々な人々挿話が『のんきな患者』に盛り込まれ、満足な養生病院での治療受けられない貧し人々様々な姿が作品主題として生かされることになった。 またある家からはだしぬけに葬式が出る、きいて見ると一年以上も寝たまゝだつたといふのです こんな家では金もなく知識もないので病気とりつかれた最後寝てそれから死んでゆくより仕方ないのでせう 葬式が出るとまたもと通り商売をしてゐるので変な気になります病人のことを思ふと心がしめつけられるやうです たいていはこんな風にして死んでゆくのでせう これが結核からいけないのです ほかの病気ならどんな病気でもみな結核よりはましです 世のなかといふものへ結核冒してゆくのを考へると全く眼に見えるやうで苦しくなります — 梶井基次郎川端秀子宛て書簡」(昭和4年8月20日付) 当時大正から昭和初期にかけ)、結核不治の病日本人死因第1位であった厚生省公衆衛生局調査した1928年昭和3年)の実態調査によると、日本国内結核感染推定される患者総数は553万人日本人口の6.4パーセント)で、その内訳は、治療要する患者292万人人口の約3.4パーセント)、要観察患者261万人人口の約3.0パーセント)だった。 まだ特効薬のなかった結核罹患してしまったら、養生気をつけ病気進行遅らせるほかに道はなく、生活に余裕のない貧乏な庶民必然的に病状悪化しやすい傾向となり、貧富の差結核進行左右していた。『のんきな患者』の作中にもあるように、大阪下町庶民は何とか治りたい一心民間療法迷信縋り日々の糧を得るためぎりぎりまで働いていた。 この頃、基次郎自身も夏は浜寺海水浴場日焼け勤しみ冬備えて皮膚鍛えたり、熱の上がり下がりで一喜一憂したりの生活をしていた。睡眠鎮痛剤ドイツ製の肝油のほかにも、ニンニク常食する民間療法で〈ねばり強さ〉を養い周囲の人に臭がられていたほどだった。 なお、作中回想されている青物売りの女が持って来た〈人間の脳味噌黒焼〉のことは、遺稿断片」(1930年)でも描かれている。

※この「下町の結核患者」の解説は、「のんきな患者」の解説の一部です。
「下町の結核患者」を含む「のんきな患者」の記事については、「のんきな患者」の概要を参照ください。

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