豊後崩れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/10 06:04 UTC 版)
豊後崩れ(ぶんごくずれ)は、江戸時代前期に豊後国の隠れキリシタンが検挙された事件。豊後露顕(ぶんごろけん)、万治露顕とも言われる[1]。
- ^ a b c d e f 『大分県の歴史』 山川出版社、「豊後崩れ」(同書 200 - 204頁)。
- ^ 天正17年(1586年)・19年(1588年)の『イエズス会日本年報』より。
- ^ 『日本切支丹宗門史』慶長17年の記述より。
- ^ 元和8年(1622年)のイエズス会年報より。
- ^ 『日本史小百科 キリシタン』(東京堂出版)では万治2年(1659年)。
- ^ 『中川史料集』万治3年5月22日の記事より
- ^ a b 『切支丹宗門の迫害と潜伏』241 - 290頁。
- ^ 『日本キリシタン迫害史 一村総流罪3,394人』 津山千恵著 三一書房(同書50 - 52頁)。
- ^ a b 『大分市史 中』。
- ^ 村井早苗『幕藩制成立とキリシタン禁制』490 - 497頁。
- ^ 『キリシタン史の謎を歩く』 森禮子著 教文館(197頁、261頁)。
- ^ 3人は病死していたので、実際は27人。
- ^ マリオ・マレガ『豊後切支丹史料』。
- ^ 「御触書寛保集成」一二三五号他。
- ^ 『キリシタン』 H・チーリスク監修 太田淑子編 東京堂出版「豊後崩れ」の項(260 - 261頁)。
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