キリシタン殉教記念公園とは? わかりやすく解説

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キリシタン殉教記念公園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/31 06:02 UTC 版)

キリシタン殉教記念公園(キリシタンじゅんきょうきねんこうえん)は、大分県大分市葛木にある公園である。

概要

豊後国(現在の大分県)は、安土桃山時代には、領主であった大友義鎮(宗麟)らのキリスト教への改宗の影響もあって、住民の集団改宗が進み、日本における布教の中心地のひとつとなって、最盛期には1万人を超えるキリシタンがいたと言われる。

1612年(慶長17年)に幕府直轄領にキリシタン禁教令が出され、翌年に全国に拡大されると、キリシタンの中心地のひとつであった豊後国でも厳しい取締りが行われた。1659年(万治2年)からの豊後露見(豊後崩れ、万治露見とも)では、豊後国内で一説には1,000人を超える殉教者が出た。中でも、現在、キリシタン殉教記念公園がある葛木では、約200名が殉教したとされる。

キリシタン殉教記念公園は、1960年(昭和35年)6月に、キリスト教徒であった当時の大分市長上田保が中心となって、大分県下の殉教者の信仰を偲び、その霊を慰めるために、最も多くの殉教者を出し、獄門原(ごくもんばる)と呼ばれた葛木に整備されたものである。なお、経費は九重町の篤志家によって賄われた。公園内には、北村西望によるキリシタン殉教の地の碑が建てられている。

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