キリシタン殉教記念公園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/29 13:36 UTC 版)
キリシタン殉教記念公園(キリシタンじゅんきょうきねんこうえん)は、大分県大分市葛木にある公園である。
概要
豊後国(現在の大分県)は、安土桃山時代に領主であった大友義鎮(宗麟)の保護の下、 キリスト教が目覚ましく発展し、最盛期には3万人を超えるキリシタンがいたと言われる[1]。
1612年(慶長17年)に幕府直轄領にキリシタン禁教令が出され、翌年に全国に拡大されると、豊後国でも厳しい取締りが行われた。1659年(万治2年)からの豊後露見(豊後崩れ、万治露見とも)では、豊後国内で1,000人を超える殉教者が出たとされる[2]。キリシタン殉教記念公園がある葛木では、約200名が殉教したとされる[3]。
キリシタン殉教記念公園は、1960年(昭和35年)6月に、カトリック信徒であった当時の大分市長上田保が中心となって、大分県下の殉教者の信仰を偲び、その霊を慰めるために、最も多くの殉教者を出し、獄門原(ごくもんばる)と呼ばれた葛木に整備されたものである。なお、経費は九重町の足立正平翁によって賄われた。公園内には、北村西望によるキリシタン殉の地の碑が建てられている[3][4][5]。
交通
- 大分バス 殉教公園前停留所下車、徒歩約2分
脚注
- ^ “キリシタン殉教記念公園(葛木)”. カトリック大分司教区 2025年7月29日閲覧。
- ^ “豊後崩れ(ぶんごくずれ)”. Laudate(女子パウロ会) 2025年7月29日閲覧。
- ^ a b “キリシタン殉教記念公園”. 旅サラダ+旅情報 2025年7月29日閲覧。
- ^ “第十章「ロマンチスト」”. ロマンを追って 元大分市長上田保物語. (2008年5月16日) 2025年7月29日閲覧。
- ^ “大分県 キリシタン殉教記念公園”. Laudate(女子パウロ会) 2025年7月29日閲覧。
- キリシタン殉教記念公園のページへのリンク