ヴァルキュリャの起源と発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 07:03 UTC 版)
「ワルキューレ」の記事における「ヴァルキュリャの起源と発展」の解説
ゲルマン人の信仰から北欧神話への系譜の中で、ヴァルキュリャという概念がどのように誕生し発展してきたかについては、さまざまに論じられてきた。ルドルフ・ジメックは、ヴァルキュリャがもともとは「戦場で死んだ戦士がなる死者たちの精霊」として捉えられており、「ヴァルホルの観念が戦場から戦士の楽園へと変じる」中でヴァルキュリャの解釈も変わったのだと論じ、ヴァルキュリャとオージンの強い結びつきは、初期の「死の精霊」としての役割の段階から存在したと述べている。もともとのイメージは「ヴァルホルのエインヘリャルのように暮らしたというアイルランドの女戦士、いわゆる盾乙女によって上書きされ」たとジメックは主張している。ヴァルキュリャは「死の精霊としての性質が薄れて、より人間らしくなり、人と恋に落ちることすら可能にな」ることによって、英雄詩の中で人気のある登場人物となりえたということになる。またジメックは、ヴァルキュリャの名前の大部分が戦争に関する要素であることにも言及し、これらの名前は古いものではなく、「ほとんどが真の伝承というよりも詩想として生まれたものである」と述べている。 マクラウドとミーズは、「死体を選ぶというヴァルキュリャの役割は、後世の北欧神話の中で、人の運命を決めるという超自然的存在であるノルンと混同されるようなった」と論じている。 H・E・デイヴィッドソンは、「何世代もの詩人や語り部によって顕著に洗練されたヴァルキュリャ像が作り上げられてきたが、その中にはいくつかの観念を見て取ることができる。まず人の運命を定めるというノルンに似た部分。次に呪文によって戦場で男たちを守る予言の巫女。そして若者に加護を与え幸運をもたらす、特定の一族に憑いた強力な守護霊。最後に、黒海のあたりで実際に存在したとされる男のように鎧に身を包み戦場で戦う女たち」であると述べ、加えて、そこには「戦の後に捕虜を処刑する儀式を執り行う戦争の神の巫女」の記憶もあるだろうとしている。 デイヴィッドソンは、ヴァルキュリャが字義通りには「死者を選ぶもの」という意味であることを強調している。ウルフスタンの『イングランド人への説教』にある「罪人、魔女、悪人のブラックリスト」の中で言及される人々を比較検討して、その中の「死者を選ぶもの(wælcyrge)」があくまで「人間であり、ウルフスタンが神話上の人物をここに含めたとは考えがたい」と結論づけている。またデイヴィッドソンは、アラブの旅行家アフマド・イブン・ファドラーンが詳細に記録した、ルーシによるヴォルガ川での船葬の描写の中に、「見るもおぞましい巨躯のフンの老女」(ファドラーンは「死の天使」と呼んだ)が、娘と思われる二人の女を連れ、奴隷の少女の処刑を指揮していたというものがあることを指摘している。「おぞましい仕事のせいで正気を失っていたに違いない女性について、おかしな伝説が生まれてもさほど驚くには値しないだろう。戦争で捕虜になるものもいるという明らかな仮定はさておいても、どの囚人を殺すかはくじで決められるから、神が巫女の仲介を通して犠牲者を『選ぶ』という考えは一般的であったはずである」。デイヴィッドソンは、「早い段階」からゲルマン人は、「獰猛な女性の霊が戦の神の命令を執行し、不和を掻き立て、戦に加わり、死体を取っては貪り食う」と信じていたと述べている。
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