ロンバルディア集団とは? わかりやすく解説

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ロンバルディア集団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 06:05 UTC 版)

1101年の十字軍」の記事における「ロンバルディア集団」の解説

1100年9月ロンバルディア人を中心とした集団(約5万人ほど)が陸路ミラノ出発した。そのほとんどは一般庶民出身巡礼者で、パスカリス2世意を受け熱心に十字軍参加説いて回っていたミラノ大司教アンセルモ4世イタリア語: Anselmo da Bovisio)に率いられていた。彼らは東ローマ帝国領に入ると早速略奪始めた東ローマ皇帝アレクシオス1世コムネノスは彼らを先導する軍を派遣し首都コンスタンティノープル郊外設けた宿営へと案内した。しかし一行はこれに不満で、市内へと侵入して街の北西にあるブラケルナイ地区(Blachernae)で略奪行った。ここには東ローマ皇帝広壮な宮殿大聖堂があったが、この宮殿略奪対象となり皇帝ペットだったライオン殺された。ロンバルディア人たちを追い出すために皇帝は彼らをボスポラス海峡東へ渡し増援が来るまでニコメディア宿営を張らせた。 1101年5月ニコメディアに留まっていたこの集団フランス人ブルゴーニュ人やドイツ人騎士からなる少人数だが精鋭軍団合流した。これを率いていたのはブロワ伯エティエンヌ2世ブルゴーニュ伯エティエンヌ1世ブルゴーニュ公ウード1世神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世重臣コンラートといった諸侯であった。 さらに、第1回十字軍立役者一人だったトゥールーズ伯レーモン(レーモン・ド・サンジル)も合流した。彼はアスカロンの戦い以後十字軍参加した諸侯との争いがもとでエルサレム去ってコンスタンティノープル滞在しており、東ローマ皇帝依頼でこの軍団総指揮官に任命されていた。東ローマ皇帝は Tzitas 将軍率いられペチェネグ人傭兵部隊同行させた。 彼らは5月末にニコメディア出発し、レーモン・ド・サンジルやブロワ伯エティエンヌらが第1回十字軍時に辿った街道通ってドリュラエウムに到着したここから南にあるイコニウム現在のコンヤ)へ向かい、更に南東進みシリア十字軍国家合流するのが常識的な経路であったが、数で騎士上回っているロンバルディア人の巡礼者たちは、無思慮にアナトリア半島北東部にあるニクサルへ向かおう主張した。ニクサルには、メリテネの戦いダニシュメンド朝敗れた第1回十字軍英雄であるアンティオキアボエモン1世捕虜となっており、彼を救出しようというのであった。彼らはとりあえルーム・セルジューク朝領のアンキュラ向かい1101年6月23日にこれを占領して東ローマ帝国へと返還した後、進路北へ向けた。そして多数守備兵が守るガングラを攻略、さらに北のカストラ・コムネノン(カスタモヌ)を攻略しようとした。しかし、ルーム・セルジューク朝応援部隊襲来、街の周囲食料徴発を行う十字軍部隊次々と撃破したため、7月には攻略戦は完全に行き詰ってしまった。 すぐ北の黒海沿岸逃げ込むという選択肢もあったが、ロンバルディア人たちはあくまでボエモン救出主張全軍は東に進路をとり、ダニシュメンド朝領内入った。しかし、ルーム・セルジューク朝君主クルチ・アルスラーン1世は、第1回十字軍戦った際のムスリム側の敗因各勢力不統一であったことを踏まえて今回ダニシュメンド朝およびシリア・セルジューク朝アレッポリドワーン連合軍形成していた。8月初頭十字軍はメルシヴァン(Mersivan、現在のアマスィヤ県メルジフォン)地方のパフラゴニア(英語版山地(Paphlagonia)でセルジューク朝連合軍激突した

※この「ロンバルディア集団」の解説は、「1101年の十字軍」の解説の一部です。
「ロンバルディア集団」を含む「1101年の十字軍」の記事については、「1101年の十字軍」の概要を参照ください。

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