ロイス社
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フレデリック・ヘンリー・ロイスはリンカンシャーの貧しい製粉業者の家に生まれ、9歳で働き始めてから苦学を重ねて一級の電気技術者となった立志伝中の人物である。 詳細は「フレデリック・ヘンリー・ロイス」を参照 1884年、20歳で自らの名を冠した電気器具メーカー、F・H・ロイス (F. H. Royce Co.) をマンチェスターに設立した。努力家で完全主義者のロイスは、火花の散らない安全な発電機とモーターを開発して成功を収め、更に従来は人力に頼っていた小型定置クレーンを扱いやすい電動式に改良して成果を挙げた。 1902年に、長年の過労で体調を崩して療養を勧められたロイスは、療養中にフランスのドコービル製のガソリン自動車「12HP」を購入した。ところがこの車は扱いにくい上に度々故障を起こし、幾度修理を重ねてもまともに実用にならなかった。ロイスは強い不満を感じた。 その頃人件費の安いアメリカやドイツのメーカーがF・H・ロイスの市場に競合相手として出現してきた。ロイスと共同経営者のアーネスト・クレアモント(Ernest Claremont、1863年 - 1921年)は新しい分野の市場を開拓する必要に迫られていた。そこで自動車の将来性に着目したロイスは、自ら自動車を製作することを決意した。1903年から自社の優秀な電気工数人を助手として、マンチェスター・クックストリートの自社工場で開発に着手。昼夜を次いでの開発作業の結果、極めて短期間のうちに試作車を完成させた。 1904年に完成した「10HP」は、Fヘッド(フラットヘッド)の直列2気筒1,800ccエンジンを前方に搭載し、3段変速機とプロペラシャフトを介して後輪を駆動する常識的な設計だった。奇をてらわない堅実な自動車で運転しやすく、極めてスムーズで安定した走行性能を示し、実用面でも充分な信頼性を持っていた。メカニズムについてはあくまで単純で信頼性の高い手法を取ったが、トレンブラー高圧コイルとバッテリーを組み合わせた点火システム、そしてガバナー付の精巧なキャブレターは、当時としては最高に進んだ設計で、エンジン回転の適切なコントロールができた。4月1日に行われたテストドライブでは16.5mph(約26.5km/h)のスピードで145マイル(約233km)を走破した。 詳細は「ロイス・10HP」を参照 この優秀な小型車に、ロイス社のすぐ近くで工場を経営していたヘンリー・エドマンズ (Henry Edmunds) が着目した。彼はC・S・ロールズの関係者で、チャールズ・ロールズが優秀なイギリス車を求めていることを知っており、早速コンタクトが取られた。
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