レッテルとしての「トロツキスト」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 23:36 UTC 版)
「トロツキズム」の記事における「レッテルとしての「トロツキスト」」の解説
長年、各国共産党は、自党の指導に従わない共産主義者を、トロツキーの思想の影響下にあるなしとは関係なく「トロツキスト」と呼んで非難していた。「トロツキスト」とは、共産党にとって最悪の裏切り者の代名詞であり、スターリンが1936年に開始した大粛清時の定義「ソ連邦の破壊を目論むトロツキーを頭目とする反革命分子で帝国主義の手先の群れ」「ファシストの第五列」をそのまま踏襲し、「左翼を装った挑発者」「スパイ反革命集団」を意味していた。すなわち、共産党とは別の立場にある共産主義思想・およびそれを信奉する者全般を指したレッテルとして「トロツキズム」「トロツキスト」と総称していた。 例としては、スペイン内戦時に独自の反ファシスト民兵を組織していたマルクス主義統一労働者党(POUM)に対するコミンテルンおよびスペイン共産党の「トロツキスト」という非難が挙げられる。POUMは指導者のアンドレウ・ニンがトロツキーの秘書を務めたことがあるが、トロツキーの指導する国際的な左翼反対派の運動(のちに第四インターナショナルを形成する)とは一線を画していた(トロツキーもPOUMを「中間主義」と批判していた)。にも拘らず、POUMは「トロツキスト」と規定され、のちに「ファシストの手先」とされ共和国政府およびスペインに潜入していたソ連の秘密警察に組織ごと抹殺されることになる。 日本においては、日本共産党は、新左翼発生以前には共産党結成初期に共産党から分離した労農派をトロツキストと呼んでいた。1950年代後半に六全協に対する反発やハンガリー動乱の影響で新左翼が生まれると、彼らをトロツキストと罵倒した。60年安保闘争時の、決してトロツキーの思想の影響下にあったわけではなかった共産主義者同盟および全学連を「極左冒険主義のトロツキスト集団」と口をきわめて非難した。あるいは、「トロツキズムを乗り越えた新しい体系=反スタ、反純トロ」を標榜する革マル派、中核派、果てはそもそもレーニン主義を否定している社青同解放派まで、一括りに「トロツキスト」と規定していた。 しかしスターリン批判以降、日本社会でも凶悪な独裁者というのがスターリンの評価として一般的になっていく中で日本共産党もスターリンについて「科学的社会主義を歪曲した」「大国主義」と批判的になっていき、1982年(昭和57年)には不破哲三が著作『スターリンと大国主義』を著してスターリン批判を行い、その中において「ロシア革命におけるトロツキーの役割」を一定認める見解を発表した。そのため以降日本共産党は新左翼党派を「トロツキスト」と呼称することを公式には取りやめるが、現在でも主に高齢・古参の党員を中心に新左翼諸党派を一括りに「トロツキスト」「トロ」などと軽蔑を込めて指す者もおり、若手党員や民青同盟員にも稀に「トロ」などと口にする者がいるという。[誰?]現在では共産党の新左翼に対する公式的な蔑視用語は「ニセ『左翼』暴力集団」[要出典](口語で略するときは「ニセサヨク」)に取って代わられている。 なお、英語にも「トロット(Trot)」(複数形は「トロッツ (Trots)」)というトロツキストへの蔑称が存在する。
※この「レッテルとしての「トロツキスト」」の解説は、「トロツキズム」の解説の一部です。
「レッテルとしての「トロツキスト」」を含む「トロツキズム」の記事については、「トロツキズム」の概要を参照ください。
- レッテルとしての「トロツキスト」のページへのリンク