モントリオール事件の清算
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「レッスルマニアXXVI」の記事における「モントリオール事件の清算」の解説
2010年1月4日のRAWにおいて復帰したブレット・ハートは現在も確執が続いていると思われていたショーン・マイケルズと抱き合い、和解したことを番組内で公表した。しかし、ビンス・マクマホンとの軋轢はまだ残っているという設定のもと遺恨アングルが展開された(両者の遺恨についてはモントリオール事件を参照)。ショーン・マイケルズとの感動的な和解を果たしたブレットは直後にオーナーであるビンスを呼び出した。ブレットは12年以上も募らせたフラストレーション、遺恨、鬱積した怒りをマクマホンにぶつけ、長年の抗争に終止符を打とうと和解を提案し握手をした。しかしその直後、ビンスは再びブレットを裏切り、キックを浴びせると同時にブレットをマットに沈ませた。その後のRAWでも、ビンスはバティスタの協力を得ながら、ブレットの心を踏みにじる行為を続け、ビンスが意図的に起こした交通事故によりブレットは片足を骨折し、通常通りの試合はもはや不可能と思われた。 しかし3月15日のRAWにストーン・コールド・スティーブ・オースチンがゲストホストとして登場。本大会にて反則裁定なしの特別ルールにより行われることが決定していたビンスvsブレット戦の調印式を采配した。調印式の最後でオースチンは「まだ一つ言い残していたことがあった、それはブレットから聞け。」と発言。ビンスがブレットの方を振り返ると机の上には脚のギプスが乗せられており、ブレットは松葉杖を投げ捨て、難なく立ち上がると「ビンス自身がビンスを嵌めるんた!」と叫びビンスをギプスで殴打、自身の脚が治っていることをファンに示した。 大会当日、ビンスは入場時にマイクを持ち急遽試合をランバージャック形式に変更すると発表、そして「ビンスとブレットの家族全員がお前を嵌めるのだ。」と言うと、後ろからブレットの家族全員(WWEの現役選手であるDHスミスとタイソン・キッドも含む)が現れ、ビンスに買収されていたことが発覚。表情を変えずに佇んでいたブレットは試合開始前、レフェリーのブルース(ハート・ファミリーの次男でブレットの兄)に「口座の入金の確認は済んだか?」と聞いた後、「今夜は忘れられない日になる、ブレットがビンスを嵌めるんだ!」と言うとブルースとブレットは抱き合い、ビンスの買収は失敗に終わりビンス自身が嵌められていたというどんでん返しになった。試合は終始ブレットが攻撃する一方的な展開となり、ビンスがリング下に逃げるとハート・ファミリーから攻撃され、スミスとキッドからは連携技をかけられる等、袋叩きとなった。最後はブレットがシャープ・シューターを決めビンスが情けなくタップをし試合は終了。ビンスの無残な敗北により12年に及ぶ遺恨はついに終了した。 この試合は長きに及ぶ遺恨の決着として、また約10年ぶりにリング復帰したブレットの試合としても期待が高かったため、予想されなかった攻防のない一方的な試合展開に一部のファンや雑誌からは凡戦と評され、期待を裏切る結果となってしまった。しかし、本来ブレットは2002年の自転車事故により脳梗塞を起こし、一時は左半身不随となり歩くことも儘ならない状態であり長期的なリハビリの結果、奇跡的にリングに上がったのであって本来なら受身は一切取れない状態であった。そのために、今回の試合は特殊形式でビンスが一方的に受けに回る展開を選ばざるを得なかったと思われている。
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