メカ生体ゾイド(第1期)
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1982年、トミー(現・タカラトミー)が生産し、アメリカ現地法人であるトミーコーポレーションが「ZOIDS」として発売したことからシリーズは始まる。元々、トミーには「ちっちゃな仲間たち」と呼ばれるマイクロゼンマイを用いた玩具シリーズが存在し、これを男児向けの新商品として開発するところからスタートした。これが欧米市場で好評だったため、日本でも「メカボニカ」とタイトルを変えて売り出された。 しかし、メカボニカの人気は振るわなかったため、1983年にタイトルを欧米と同様の「メカ生体ゾイド」に改めた。この時、トミー社内のアイデアコンテストに参加してゾイドに関わることになったのが、のちに「ゾイドの生みの親の一人」と呼ばれる徳山光俊で、コンテストをきっかけに若手社員3人(徳山のほか、エンジニアの二階堂輝雄とデザイナーの藤野凡平)によるゾイドチームが作られた。このゾイドチームは、「架空の惑星における共和国と帝国の戦い」というバックグラウンドを設定したが、発売予定までの限られた時間でラインナップを拡充するため、メカボニカの製品を転用・改造して間に合わせた。徳山は、ゾイドが子どもたちを楽しませる「普遍のものさし」(テレビ番組の放送期間で価値が左右されるキャラクター玩具とは違うオリジナル玩具)を目指しており、恐竜の化石を発掘して復元するように「組み立てを楽しむ玩具」に拘った。さらに(テレビキャラクターに比べ知名度が劣るので)売上停滞の懸念を緩和するため、営業部や玩具販売店とも一丸となり魅力的な店頭販売に注力し、徳山が直接イラストを描いたゾイド売り場作りのマニュアルを作成。また、店頭で動かし続けながら展示できる初の電動モーター搭載キットであるビガザウロを発売した(ビガザウロはアメリカのZOIDSとして企画されていたが、メカ生体ゾイドの目玉に転用して国内で販売されたもの)。その後、アニメプロデューサーの飯島敬らの手によってゾイド星におけるヘリック共和国とゼネバス帝国が戦う「ゾイドバトルストーリー」が作られ、世界観の形成も進んだ。 1984年には、シリーズの中でも象徴的なゴジュラスや帝国側ゾイドも発売され展開が本格化。ゴジュラスやアイアンコングなど多くのゾイドをメインデザイナーである藤野が手がけた。さらには、小学館の学年別学習雑誌に掲載されたジオラマや、特撮を使ったCMなどで人気を集めた。1987年には従来の1/72スケールに加え、モデラーの横山宏がデザインした1/24スケールの24ゾイドが登場した。 1989年にはガイロス帝国(暗黒軍)の登場で新展開が始まり、ゾイドのデザインはヒーロー色の強いものになっていった。しかし、ミニ四駆などの人気に押され、1990年のデス・キャットを最後にゾイドシリーズは一度終了した。 タカラトミーでは、この期間(1983年〜1991年)までのシリーズ展開を「第1期」と位置づけており、日本国内でのキットの累計出荷数は1900万個以上である。
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