ムセ大統領 / イスラム法廷会議、ソマリランドとの対立とは? わかりやすく解説

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ムセ大統領 / イスラム法廷会議、ソマリランドとの対立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 03:37 UTC 版)

プントランドの歴史」の記事における「ムセ大統領 / イスラム法廷会議、ソマリランドとの対立」の解説

2005年1月選挙の結果将軍モハムード・ムセ・ヘルシ大統領選ばれた。(ムセ・ヘルシは姓ではなく父・祖父の個人名つなげたのであるが、この人物は「ムセ大統領」「ヘルシ大統領とされることが多い。この記事ではムセ統一する。)また、プントランド独立国ではなくソマリア暫定連邦政府構成する自治州となった2005年以降には、各地区の行政は、氏族基本単位とした地区評議会中心となって決めることになったムセはオスマン・マハムード支族であり、新政権はオマル・マハムード支族とオスマン・マハムード支族連立政権の形となった:260。 なお、このころからソマリア沖の海賊活動本格化した。プントランド政府は公式には海賊との関係を否定しているが、大統領選には多額の費用が必要であり、その資金源海賊行為の関係を疑う者もいる:2612005年3月ムセ大統領プントランド最大商業都市ボサソ空港英語版)の改修計画したムセ大統領ボサソ空港足を運び2006年着工した2008年には新ターミナルビル完成しており、ムセ大統領2007年8月にも現地視察している。(その後資金難などが原因難航したが、ムセ政権終了後2012年資金目途が立ち、2013年入札式、2014年着工2016年1月リニューアルオープンした。) 2006年11月ソマリア南部作られイスラーム原理主義組織であるイスラム法廷会議勢力範囲徐々に北方伸ばしプントランド南境都市ガルカイヨから南西に数10キロ離れた位置にあるバンディラドレイ(英語版)が占拠されたことが伝えられた。イスラム法廷会議のモハメド・モハマド・ジャマ(Mohamed Mohamud Jama)は次にガルカイヨ侵攻する旨を表明したガルカイヨは北半分プントランドが、南半分ハウィエ氏族支配している都市であった。このときまで、イスラム法廷会議プントランド支配地域への侵攻表明避けていた。プントランド大統領ムセ問題宗教化することを避けるため、プントランドイスラム法に従って治めていくがその方法イスラム法廷会議とは異なるものである、との声明発表した2007年4月ムセ大統領アラブ首長国連邦構成国であるラアス・アル=ハイマ首長国訪問し当時皇太子だったシェイク・サウド・ビン・サクル・アル・カシミ(英語版) と面談している。この会談で、プントランドラアス・アル=ハイマ地域ビジネス協力強化する経済協定署名された。さらにはプントランド炭化水素開発会社Puntland Hydrocarbon Development Company LLC)を設立する契約にも署名したさらにはプントランドインフラ計画進め計画ソマリアからの輸入家畜用の検疫施設設立契約にも署名された。 2007年7月プントランド西部一部で、ダロッドハルティ支族であるワルサンガリ(英語版)がマーヒルとして独立宣言したプントランド行政マジェルテーン仕切っていることに反発したことによるのだった2007年10月には、プントランド西隣のソマリランドが、プントランド支配権主張しているスール州都市ラス・アノド占領したプントランド・ソマリランド紛争始まり)。 2007年12月ラスカノード侵入に関してソマリランドムセ大統領の間に密約があったとして、スール出身議員質問出しプントランド議会紛糾した。同じ12月ムセ大統領は北ガルカイヨ地区評議会解散命じ、北ガルカイヨプントランド政府直接支配することを表明した。これを皮切りにムセ大統領プントランド政府権限強めていった。ムセ大統領翌年1月にはラスカノード奪還することを宣言している。 2008年8月に、ワルサンガリ出身将軍アブデゥリアヒ・フメド・ジャマ(英語版)がマーヒル戻りプントランド大統領選への出馬表明しプントランド内でのマーヒル地域待遇改善することを約束したジャママーヒル住民歓迎受けたマーヒルソマリランドからも攻撃受けていたので、2009年プントランド復帰決めた2008年10月ムセ大統領アラブ首長国連邦会社ルーターグループ(Lootah Group)と、1.7億UAEディルハム(約50億円)で空港、港、高速道路などの建設を行う契約署名した

※この「ムセ大統領 / イスラム法廷会議、ソマリランドとの対立」の解説は、「プントランドの歴史」の解説の一部です。
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