マゼランの任命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:09 UTC 版)
「フェルディナンド・マゼラン」の記事における「マゼランの任命」の解説
ゴメスで失敗したフォンセカとアロはデュアルテ・バルボーザの推薦するマゼランの存在を知り、ただちにマゼランを新たな探検隊の指揮官に推すことに決め、マゼランはスペイン王・カルロス1世の謁見を得て、その航海の計画を説明することになる。 スペイン王に謁見したマゼランは、自分の西回りでの香料諸島への渡航計画について、大アジア半島の南に香料諸島・インドへ通じる海峡があること、東回りよりもはるかに航路の短い西回りルートはポルトガル人よりはるかに安いコストで香料を手に入れることができることを自信をもって説明する(実はマゼランの自信の根拠となるマルティン・ベハイムの世界観はまったくの誤りであった)。また従兄弟のセラーンの知らせでは香料諸島はマラッカのはるか東方であることを知らされていた(これも実際の距離よりも誇張されていたのだが)。その情報によって香料諸島がトルデシリャス条約で定められたスペインの領域内にあることも保障し、マゼランの自信を持った説明にスペイン王は納得し、マゼランに艦隊を預ける決断をするのであった。 スペインからみればライバル国のポルトガル人であるマゼランにスペイン王が艦隊を任せる決断をした背景にはフォンセカとアロという有力者の推薦があったことはたしかであろう。その推薦の見返りにフォンセカは自分の意に沿う者たちをマゼランの艦隊の幹部に据え、主導権を握ろうと画策する。それはマゼランの航海技術のみをもとめ、その艦隊を自分の統制下におき、利益はマゼランではなくフォンセカとアロで握ろうとしたものである。マゼランの盟友である天文学者ルイ・デ・ファレイロも艦隊から外され、これに反発したマゼランはスペイン王に交渉し自分の親族や自分の意に沿うポルトガル人を幹部に入れることに成功するが、しかし、それでも艦隊幹部の大半はフォンセカの息のかかった者たちであり、艦隊に同行し世界周航の記録を書いたアントニオ・ピガフェッタはその記録のなかでマゼランの指揮下の船長達は何故か最初からマゼランを憎んでいたと書いている。マゼランの母国ポルトガルでは、ポルトガル人のマゼランがポルトガルの利権を危うくするスペインの企画を指揮することに反発し、ポルトガルの駐スペイン大使はマゼランを説得や脅しを行い、果ては暗殺まで考え航海を止めさせようと試みる。また、ポルトガルはマゼランの航海を妨害しようと様々試みた。
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