マゼランの北アフリカ遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:09 UTC 版)
「フェルディナンド・マゼラン」の記事における「マゼランの北アフリカ遠征」の解説
1513年にポルトガルに帰国したマゼランがその後何をしていたのかは記録が少なくよくはわかっていないが、帰国後ほどなく1513年8月にはポルトガルの北アフリカ征服の一環であるモロッコのアザムール攻略に参加し、最前線で戦士として戦い戦傷を受け右足が不自由になっている。後年の研究者はマゼランは騎士として正々堂々とした戦闘を好む性格であったのであろうと推測している。こののちマゼランは鹵獲品管理担当将校になるが、鹵獲品管理担当将校という役職は私腹を肥やすことが可能な役職であったためにマゼランは言われ無き中傷と嫉妬にさらされ、鹵獲品の横流しで私腹を肥やしたとあらぬ疑いをかけられている。鹵獲品の横流しの汚名を着せられたマゼランは無断で帰国、ポルトガル王マヌエルに無実を訴え、香料諸島への派遣を直訴するが、王はこれを無視し、モロッコへ戻るよう命令する。一旦、北アフリカに戻されたマゼランは疑惑がうやむやの内にポルトガルに帰国する。後年の研究者達はマゼランの性格と行動からマゼランへの汚職の告発はおそらくは冤罪であろうと推測している。
※この「マゼランの北アフリカ遠征」の解説は、「フェルディナンド・マゼラン」の解説の一部です。
「マゼランの北アフリカ遠征」を含む「フェルディナンド・マゼラン」の記事については、「フェルディナンド・マゼラン」の概要を参照ください。
- マゼランの北アフリカ遠征のページへのリンク