マゼランの死とは? わかりやすく解説

マゼランの死

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:09 UTC 版)

フェルディナンド・マゼラン」の記事における「マゼランの死」の解説

セブ島に3週間滞在しセブ王の王宮にもたびたび招かれ食料補給し多くセブ島民を改宗させたマゼランだが、何故か目的香料諸島向かわず布教続けている。セブ島民を改宗させたことで気をよくしたマゼラン強硬になり布教当たって武力ちらつかせるようになっているセブ島周辺の王たちのほとんどはマゼラン従ったが、改宗服従強要するためにセブ島対岸小島マクタン島では町を焼くこともしている。このことでマクタン島民は反感つのらせたようである。その後マゼラン4月27日マクタン島に突然出撃した。ピガフェッタによると、マクタン島の王の一人ズラは「マゼラン要求に従う気はあるが、もう一人の王ラプ=ラプ従わないので困っている小艇に兵を満載して救援来てほしい」と伝えてきたからだとしている。これを聞いたマゼランラプ=ラプ王を従わせようと3隻の小艇60名の兵を乗せてマクタン島乗り込んだのだが、ラプ=ラプ王は既にこれを察知しており、60名の内11名を小艇警護残して上陸したマゼラン49に対して1500人の軍勢配置していた。しかしマゼラン圧倒的に多数の敵を前にして部下諸君、われらの敵であるこれらの住民たちの数に恐れをなしてはならない。神が我ら助け給うであろうから。諸君思い出すがよい、あのエルナン・コルテス隊長ユカタン地方で、200人のエスパニャ人でもって、しばしば2030住民たちを打ち破ったということを我々が耳にしたのはつい最近のことではないか — ピガフェッタ(2011)、pp.303 f と演説し寡兵にもかかわらず戦闘突入。しかし、30倍の数の敵に対しマゼランの兵はやがて敗走マゼラン周りにはピガフェッタやエンリケ含め6から8人ほどが踏みとどまって戦うだけになる多勢ラプ=ラプ王の兵の竹槍マゼランたちの甲冑通じ戦い1時間及んだが、ラプ=ラプ勢は防具をつけていない足に攻撃集中し始め遂にマゼラン戦死する

※この「マゼランの死」の解説は、「フェルディナンド・マゼラン」の解説の一部です。
「マゼランの死」を含む「フェルディナンド・マゼラン」の記事については、「フェルディナンド・マゼラン」の概要を参照ください。

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