北アフリカ征服(533年~534年)
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「ユスティニアヌス1世」の記事における「北アフリカ征服(533年~534年)」の解説
詳細は「ヴァンダル戦争」を参照 ユスティニアヌスが最初に攻撃をした西方王国は北アフリカのヴァンダル王国であった。530年、ユスティニアヌスや現地のカトリック教会と良好な関係を保っていたヒルデリック王(英語版)が従弟のゲリメルに倒された。投獄され、退位させられたヒルデリックはユスティニアヌスに助けを求めた。 533年、92隻のデュロモイ(戦艦)に守られた500隻の輸送船で出征したベリサリウスは兵15,000と蛮族兵数部隊を率いて現在のチュニジアのヴァダ岬(現在のカプララ岬)に上陸した。ベリサリウスは9月14日のアド・デキムムの戦いそして12月のトリカマルムの戦いでヴァンダル軍に奇襲をかけて破り、カルタゴを占領した。ゲリメルはヌミディアのパップア山に逃れたが、翌春に降伏した。ゲリメルはコンスタンティノポリスへ連行され、凱旋式で引き回されている。この戦役でサルデーニャとコルシカ、バレアレス諸島そしてジブラルタル対岸のセウタ要塞が回復された。 534年4月にアフリカ属州が設置されたが、続く15年間のうちにムーア人との戦争と打ち続く反乱に動揺し崩壊寸前になっている。この地域は548年まで完全に安定しなかったが、その後は平静を取り戻してある程度の繁栄を享受している。アフリカの回復のために帝国は金10万ポンドの出費を要した。
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