モロッコの内紛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 15:20 UTC 版)
「アルカセル・キビールの戦い」の記事における「モロッコの内紛」の解説
一方、モロッコでは1578年、サード朝第4代スルタンムレイ・ムハマッド(ムタワッキル)がオスマン帝国の支援を得た叔父のムレイ・アブデルマルク(アブド=アル=マリク)によって王位を奪われる事件が起こった。ムレイ・ムハマッド(ムタワッキル)は、仇敵のポルトガルに亡命し、セバスティアン王に援助を求めた。北アフリカ征服を夢想するセバスティアンはこれを絶好の好機と見なした。当時のスペイン王フェリペ2世は思いとどまるよう説得したが、ドン・セバスティアンは7月14日、6,000人の外国人傭兵を含む17,000人の大軍を率いて、ムハマッド(ムタワッキル)とともにタンジールに上陸した。
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