ポロ・グラウンズⅣとは? わかりやすく解説

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ポロ・グラウンズⅣ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 03:42 UTC 版)

ポロ・グラウンズ」の記事における「ポロ・グラウンズⅣ」の解説

急遽2カ月突貫工事鉄筋コンクリートスタンド改築行ったその間は、ジャイアンツニューヨーク・ハイランダーズ(現ニューヨーク・ヤンキース)の本拠地球場ヒルトップ・パーク借りていたが、同年6月28日、まだ完成していないにもかかわらず、新ポロ・グラウンズ移転した以降スタンド工事進めながら試合行った。そして1913年にはヤンキースもこの新しい鉄コンクリートポロ・グラウンズ移転してきた。 ポロ・グラウンズフィールド両翼までの距離が短く特にライトポールまでの距離は79mと短く、この恩恵受けたのがベーブ・ルースで、1920年シーズンにまだポロ・グラウンズ本拠地としていたヤンキース移籍する前年ボストン・レッドソックス29本の本塁打(これでも当時年間新記録であった)を打っていたのが一挙に54本の本塁打を飛ばす大活躍で、このルース人気を受けヤンキースメジャー史上初の年間観客動員100万人を突破したジャイアンツジョン・マグロー監督はこれに腹を立てヤンキースに「1921年以降ポロ・グラウンズ使用禁じる」と通告した。これに対してヤンキースポロ・グラウンズからハーレム川渡ったブロンクス地区ヤンキー・スタジアム建設した。この球場ライトまでの距離がポロ・グラウンズ比べて長いがそれでも他の球場比べて短い296フィート(90m)であったのでベーブ・ルースはさらにホームラン量産した。 その後1925年にはNFLニューヨーク・ジャイアンツがこの球場本拠地にし、ポロ・グラウンズ野球アメフト兼用となった1955年まで)。 しかしベーブ・ルース以降常勝軍ヤンキース活躍で、人気実力観客数でも同じニューヨークジャイアンツドジャース見劣り1950年代入ってナショナル・リーグジャイアンツ成績観客動員ともに落ち込み、またポロ・グラウンズ老朽化に伴い球団幹部ニューヨークからの脱出考えるようになる。そこに同じ悩み抱えたドジャースから「西海岸一緒に移転しないか」と誘いかかったドジャース西海岸移転する際、自分たちだけが移転した移動大変だ考え、もう1球団一緒に西海岸移転する構想持っていた。ジャイアンツはこの計画乗りサンフランシスコへの移転決断1957年最後にポロ・グラウンズ去った1960年から、AFLニューヨーク・タイタンズ1963年からジェッツチーム名変更)がここを本拠地にした(1963年まで)。 1962年には、MLBニューヨークに新球団メッツ誕生62年63年ポロ・グラウンズ本拠地にし、90万人近い観客動員記録したメッツ1964年より新球場シェイ・スタジアム竣工により移転しポロ・グラウンズ1964年4月解体された。解体後跡地には「ポロ・グラウンズ・タワーズ(Polo Grounds Towers)」という高層アパート建てられている。

※この「ポロ・グラウンズⅣ」の解説は、「ポロ・グラウンズ」の解説の一部です。
「ポロ・グラウンズⅣ」を含む「ポロ・グラウンズ」の記事については、「ポロ・グラウンズ」の概要を参照ください。

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