ポロ・グラウンズⅢ(ブラザーフッド・パーク)
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「ポロ・グラウンズ」の記事における「ポロ・グラウンズⅢ(ブラザーフッド・パーク)」の解説
そして同じ1889年にプレイヤーズ・リーグが創設されて、加盟した新チームが「ニューヨーク・ジャイアンツ」を名乗り(元のニューヨーク・ジャイアンツから移籍した選手が多かった)、1890年にニューヨークには「ジャイアンツ」という野球チームが二つ存在していた。そしてプレイヤーズ・リーグのジャイアンツはポロ・グランズの北隣りにあるブラザーフッド・パークを本拠とした。この年は同じ「ニューヨーク・ジャイアンツ」というチームが主催して、隣り合わせのグラウンドで試合を行い、高い所にいる観客は同時に2つの試合が観戦できて、しかも外野手が後逸した球がお互いに相手の試合グラウンドに入り、プレーが中断することもあったと言われている。 しかしプレイヤーズ・リーグのニューヨーク・ジャイアンツは、わずか1年で解散に追い込まれ、選手の多くはナショナル・リーグのジャイアンツに戻った。ナショナル・リーグのジャイアンツは翌1891年シーズンからこのブラザーフッド・パークを本拠地とし、球場名をポロ・グラウンズに改称して木造スタンドを建て増設していった。これが後に「ポロ・グラウンズ」の開場とされ、1957年までニューヨーク・ジャイアンツの本拠地として使われている。このポロ・グラウンズⅢはこの後のポロ・グラウンズⅣの両翼の狭い歪な球場とは違い、両翼335フィート、センター500フィートの球場であったと言われている。しかしこのスタンドが木造であったため、1911年4月14日に火災を起こし全焼してしまった。
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