ポロツク公国からの分離説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/01 08:24 UTC 版)
「グロドノ公国」の記事における「ポロツク公国からの分離説」の解説
12世紀末のノヴゴロド・セヴェルスキー公イーゴリの遠征を元に描かれた『イーゴリ遠征物語』には、ポロツク・イジャスラフ家(ru)(ポロツク公国の公)の所領として、「городеньскии」が言及されている(трубы трубят городеньскии / ゴロデーツの町に 喇叭の音のみ 喧しい)。この「городеньскии」をグロドノとみなす説があるが、ポロツク公国の主要部(現ポラツク)と、グロドノ公国領のノヴォグルドク(現ナヴァフルダク)との間に通過しがたい森が広がっていることや、かつでのスラヴの部族の居住地は、ポロツク側はクリヴィチ族の生活圏であったのに対し、グロドノ周辺はドレゴヴィチ族、ヴォルィニャーネ族の生活圏であったような文化的な隔絶から、ポロツク公国からの分離説は否定的にみられている。なおその場合、上記のгороденьскииはゴロデツ(所在不明)を首都とするゴロデツ公国(ru)ということになる。
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