ポロツク出身の妻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 06:02 UTC 版)
「ウラジーミル1世の家庭生活と子どもたち」の記事における「ポロツク出身の妻」の解説
ウラジーミルの異教徒の妻の間で、もっとも著名なポロツクのログネダの出自には、不明な点が多い。『ルーシ原初年代記』には、ログネダの息子4人(ポロツクのイジャスラフ(1001年没)、ヴォルィーニのフセヴォロド(995年頃没)、賢公ヤロスラフ1世、ムスチスラフ)の名が記されている。イングリングの古い慣習により、イジャスラフは母方の祖母の土地すなわちポロツクを継承した。一方、キエフの継承法では、イジャスラフの生得の権利は没収されキエフ大公に帰すべきものとされていた。しかしイジャスラフはポロツク公領を保持し、その子孫がこれを世襲した。この家系からはフセスラフ(ポロツク公・キエフ大公)が出た。 また、年代記によってはチェルニーゴフのムスティスラフもログネダの息子であるとしている。
※この「ポロツク出身の妻」の解説は、「ウラジーミル1世の家庭生活と子どもたち」の解説の一部です。
「ポロツク出身の妻」を含む「ウラジーミル1世の家庭生活と子どもたち」の記事については、「ウラジーミル1世の家庭生活と子どもたち」の概要を参照ください。
- ポロツク出身の妻のページへのリンク