プラド版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 14:19 UTC 版)
「ヴィーナスとアドニス (ティツィアーノ)」の記事における「プラド版」の解説
現在マドリードのプラド美術館に所蔵されているバージョンは、一般的に現存するバージョンの中で最も古い作品であることが認められている。1626年まで確実な記録として文書化されていないが、現存するティツィアーノの手紙によって告知され、1554年9月にロンドンのフェリペ2世に送られたと記録された絵画と見なされている(同年7月にメアリー1世と結婚したフェリペ2世は、実際にはまだスペイン国王ではなく、イングランドの国王である)。 フェリペ2世は12月に絵画を受け取り、キャンバスの縫い目を「梱包で作られた折り目」と間違えて不満を廷臣への手紙に書いた。実際にプラド版には2枚の帆布が絵画の上で明白に結合された継ぎ目が存在する。ウィリアム・ロジャー・リアリック(William Roger Rearick)によると、この最初の絵画は実際には「ローザンヌ」のバージョンであり、ティツィアーノはその後に制作された現在のプラド美術館のバージョンを送ったと主張したが、ニコラス・ペニー(英語版)によって否定され、物議を醸している。アドニスは他のバージョンよりも古く見え、ヴィーナスの身体はより短くなっている。これ以降のバージョンは工房に保管されていたロンドン版を複製して制作された可能性がある。少なくともプラド版は大部分がティツィアーノによって描かれている。 これはスペイン国王フェリペ2世のために制作された《ポエジア(詩想)》と呼ばれる神話画連作の一部である。『ヴィーナスとアドニス』はサイズは異なるが、1553年に配送された最初の《ポエジア》である『ダナエ』とともに鑑賞するようにデザインされていた。現在はプラド美術館の同じ部屋に、他のティツィアーノ作品とともに展示されている。 ティツィアーノはフェリペ2世に宛てた手紙の中で、2つの絵画は裸のヴィーナスの正面と背面の対照的な眺めを提供しており、絵画が彫刻と競争することを可能にすると説明した。これとは別に、同時代の記述はこれらの絵画が男性の鑑賞者に与えた強力な効果を示している。絵画の中で座っているヴィーナスの押しつぶされた臀部は当時の芸術では斬新であり、非常に官能的であると考えられていた。ヴェネツィアの評論家ロドヴィーコ・ドルチェ(英語版)は「器用に描かれた素晴らしい1枚・・・ここで座ることによってもたらされた肉体の膨らみが彼女の最後部に認められます・・・生き生きとした彼女を見て、生きていることを信じないほど鋭い視力と洞察力を持った人はいません」。 ヴィーナスが彼女から恋人が離れることを物理的に抑制しようとすることもまた、ティツィアーノの情報源のいずれにもない、斬新で効果的な身振りである。すなわち「アドニスが死んだ際のヴィーナスの喪失感をアドニスが狩猟に出発したときに移す」ことによって「物語の前半と後半を愛と喪失の瞬間に統合する」ことをもたらしている。
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